朝風呂と比叡山

朝日に誘われて目覚める。日焼けしたくはないけど、この朝日で目が覚めたいから、カーテンは全開で寝る。
ここの新緑は本当に美しいけど、どうしてもこの瞬間は、冬の方がどうしようもなく好きだなと思う。
比叡山の輪郭がはっきりとして、山の端がオレンジで、その上に黄色がかったグラデーションで、グレーになって、頭上はまだ暗い。

そして、ああ一人だな、と実感する。この世界に、私ひとり。
水をがぶ飲みして朝風呂にドボン。寝起きに大浴場へ行くのはどうにも面倒くさい。はだけた浴衣を着直して(場合によっては全裸なのでその場合は一から着て)、お風呂へ行って、また脱いで…という工程が永遠にも思える。
グチャグチャでテカテカした髪を洗ったら、目の前には、凛とした空気に佇む比叡山が、「おはよう」と言っている。
やっぱり東山というのは朝が似合う山だなと思う。

比叡山というのは京都の市中で場所によって見せる姿を大きく変えてくれる。五条のあたりから見るぽっこりした比叡山も、岩倉くらいまで上がったときの凛とした比叡山も、そしてここでもまた、普段は見られない姿を見せてくれて、改めて好きだなと思わせてくれる。そして浄土宗推しとしては、そこから降りてきた法然さんの尊さを思ったりもする。
朝食論の例外
ホテル大好き人間としてはホテルの朝食というのも醍醐味の一つ。繰り返すが、私のホテルで重視するポイントは、ラウンジ、デスク、モーニング。
でもここに泊まった時は朝食は付けないのが私のルールだ。だらしなく寝落ちした後は目が覚めるまで寝ていたいし、起き抜けに朝風呂に入りたいし、そもそも飲み食べしながら寝落ちしているからお腹が空いていない。なお私の自慢は二日酔いにならないことだ。稀に例外もあるけども。
朝風呂してある程度仕事をしてから、近くのベーカリー〈クロア〉に買い出しに行く。ここはオープン時に行列ができるほどの人気だ。

私がこのホテルを推しているところの理由の一つが、働く人たちの誠実さというか正直さもある。
初めて宿泊したチェックイン時、朝ごはんをつけようか迷っていたら、男性のホテルマンが声を顰めていった。
「最近ビュッフェのお値段もあがりまして、結構しますし、そこに美味しいパン屋さんもありますから、ゆっくりとお部屋でそちらを召し上がるのもよろしいかと…」。
このお方は私が朝に弱く動きが鈍いのをなぜご存じなのだろうか。心あるホテルマンのおかげで私のここでの朝はいつも充実している。
そして先日、レトロ喫茶のモーニングもいいなと気づいた。昔ながらの喫茶店、シンプルだけど過不足ない内容だ。


Cheese
とはいえここの朝ご飯は魅力的なので紹介しておく。選べる3種の朝ごはんは、静かだし、食べ過ぎないからちょうどいい。そして、美味しい。一部ビュッフェになっているから、ほしいものを欲しい分だけの摂取もちゃんとできる。ビュッフェの定食のいいとこどりって感じ。これが

こうなる。焼きおにぎり鯛茶漬けだ。

そして洋食もいい。

いつ歩いても気持ちいいせせらぎ
もし朝食を食べないなら、しょうざんリゾート内にある鶏肉料亭〈わかどり〉の定食を昼食にしてもいい。酒飲みでわかってくれる人もいると信じたいが、私の場合、べらぼうに呑んだ翌日はこってりしたものが食べたくなる。

部屋を出て、わかどりに向かって、美しい庭園を抜けていく。
夏は新緑、菖蒲、秋は紅葉に包まれる日本庭園。川のせせらぎが心地よく、夏でも体感温度は4度ほど低い。

庭を歩けば、光悦の茶の湯の精神を受け継ぐ茶室「松韻亭」や、数寄屋造りの建築群が点在し、まるで時が止まったような静けさが広がる。数寄屋建築の一つ一つもよく調べると面白くて、本物の酒樽に茅葺屋根をかけた茶室など、見どころが多い。興味のある人はどうぞご自由に。宿泊者は200円で入れる北庭園も苔が美しくて建築も見応えがあるので一度は入ってみてほしい。宿泊者でなくても500円で入れるし、その価値はあると胸を張って言える。

京都と哲学の道
話変わって、東山の麓には「哲学の道」という有名な道がある。西田幾多郎にちなんでつけられた銀閣寺から南禅寺の方へ続く道だが、観光客で溢れた哲学の道で哲学はできない。
今はもう、京都に穴場がないのだ。一人でメソメソしながら歩ける道もだいぶ減った。
でもここの庭は、その美しさに反して人が少ない。あくまで初夏や真冬の平日の話ね。一人でぐるぐるぐるぐる静かに歩けるから、川の流れに沿って歩いたり、祠に手を合わせたり、北山台杉を1本ずつ愛でてみたり、紀州青石に目をやったり、苔の潤いをじっと見つめたり、青もみじの隙間から溢れる光に目を細めてみる。

そして、色々な負の感情に正直に向き合っていく。
ここ1年くらいで叶わなかったこと、届かなかった淡い思い、同世代で成功している人への妬み嫉み。一つずつ、思い起こしてはその嫌な気持ちを心の中であっためて、可能なものは成仏させていく。できないものは、その気持ちごと抱きしめる。一つ一つ、ゆっくり。もういいや、って飽きるまで。

あとはもう好き勝手
メソメソするのに飽きたら、また部屋に戻って仕事に取り掛かる。嫌になっちゃった時は、明るいうちから飲んじゃう。

夕食は、予約してしょうざんリゾートの料亭〈千寿閣〉に行くこともあれば、夏なら早めの時間に〈渓涼床〉で川の流れを楽しみながら床気分。



中華の〈楼蘭〉もあんまりベタベタしてなくて食べやすいんだけど、つい和食に来ちゃうんだな。床のことはまた改めて。
そして仕事が詰まっていれば、徒歩4分ほどのセブンイレブンへ行って、健康に少しだけ配慮した雰囲気を纏ったものを買い込む。食べながら仕事を進めて、23時ごろになったら露天風呂でお酒↔︎ベッドの往復に勤しむ。

もうあとはダラダラ、誰かに怒られる限界まで散らかして、やりたい放題を限界までやる。
「境界に泊まる」という贅沢
こうやってケーブルカーを行き来していると不思議な感覚になる。光悦が追い求めたのは、芸術と暮らしの境界をなくすこと。
東急ハーヴェストクラブ京都鷹峯は、もしかしたらその精神を現代に受け継ぐ場所なのかもしれない。
御土居に抱かれた谷のホテルと、丘に眠るヴィラ。二つの世界を結ぶケーブルカーに揺られて、かつて光悦が夢見た「美の里」へと想いを馳せてみる。
さあ、戦場に戻ろう

翌朝はもう一度朝風呂にザブンとつかり、散らかしまくった部屋を気持ちばかり片付けてチェックアウト。帰りしなにもう一度、庭をぐるぐると歩いて、最後はやっぱり青もみじに包まれた石畳を踏み締めて、上を向いて手をかざす。


そう、ここが私の深呼吸する場所。私のための別荘だ。





