京都の喫茶文化の話|【イノダコーヒ】香りは、時間を連れてくる

イノダコーヒという、京都の喫茶文化の話

京都には、喫茶店が多い。
でもそれは単にコーヒー好きが多いからではなく、時間の流れに寛容な街だからだと思っている。
ちなみに私はカフェは嫌いだけど喫茶店は好きだ。

喫茶店に流れるあの独特の、ゆったりとした不思議な時間。永らく都であり続けた京都にとって、100年なんてつい最近だ。
よく沖縄時間なんて言うけれど、京都には京都時間が流れていると思う。

四条烏丸でどんなにスーツのサラリーマンが忙しなく行き交っていても、河原町の若者がどんなに荒れ狂っても、ゆるやかで動じない時間の流れ方がある。
季節の巡り方とか、朝日の上り方とか夕日の沈み方とか。それを受け止める街の色がある。

喫茶店はその最たる象徴とも言えるような、人々の営みをどこかちっぽけにも思わせてくれる悠久の時間が流れている感じ。
1200年、どんな悲しい出来事があっても諦めず朝を迎えてきた京都。

そんな京都の朝の始まりは、静かでたおやかだ。
そしてそこにはいつからか喫茶店があった。

イノダコーヒは、その真ん中に立ち続けてきた店。

「ちゃんとしたコーヒー」が飲める場所

イノダコーヒの原点は、1940年。
創業者・猪田七郎が、若くしてコーヒー豆の焙煎と卸を始めたことに遡る。

ちなみに間違えやすいけど、「イノダコーヒー」じゃなくて「イノダコーヒ」ね。ここ大事。

戦争によって事業は一度途切れるが、終戦後、倉庫に残されていた良質な生豆とともに再出発する。

1947年、三条堺町にある本店の一角に小さな喫茶スペースが設けられた。現在「メモリアル館」と呼ばれている、あの白い建物だ。
前を通ったことがある人はきっと「あああそこね」とわかると思う。

当時、コーヒーはまだ特別な飲み物だった。
大豆やイモなどの代用品が当たり前の時代に、「イノダに行けば、きちんとしたコーヒーが飲める」という評判が、静かに広がっていった。

喫茶店を“大人の場所”にした店

1950年代、猪田七郎はヨーロッパへ渡る。
ウィーンやパリのカフェで目にしたのは、飲み物を提供する場である以前に、人が時間を過ごすための完成された空間だった。

その体験をもとに、本店奥に落ち着いた喫茶室を設えた。

そしてそこには京都の文化人や旦那衆が集い、まさに大人の社交場、文化サロンとなった。

以降、イノダは店づくりにも、メニューにも、「流行」より「定着」を選んできた。

私がかぶりついたビーフカツサンド、ぺろりと飲み込んだスパゲティ、旅行者が憧れた朝食のスタイル。
どれも奇をてらわず、だけど長く愛される形を目指して整えられている。

こうしてイノダコーヒは、喫茶店という存在に、品格と安心感を与えた店として、京都に深く根を下ろしていった。

味を更新しないという選択

イノダのコーヒーを象徴するのが、深煎りのオリジナルブレンドとネルドリップ。近年はシングルオリジンの浅煎りが流行っているけど、イノダのコーヒーは基本ブレンドだ。
看板ブレンド「アラビアの真珠」は、香り・苦味・酸味のバランスを重視し、派手な主張をしない設計になっている。

・・・と、イノダさんは言うけれど、私からすればアラビアの真珠ほど個性的で主張の激しい珈琲はない。あ、最大限の褒め言葉です。

生豆というのは毎回状態が違う。それでも大きく味を変えないために必要なのが、職人技とも言うべき焙煎と抽出の積み重ね。
目の前に出された時の、「ああそう、この味だ」という安心感。いつも出迎えてくれる変わらぬ香りと味。

イノダがずっと守ってきたのは、「驚き」とか「新しさ」ではなく、安心して私たちを迎えてくれる揺るぎない一杯だ。

「京の朝」を形にした店

イノダコーヒには、「京の朝食」という名物がある。
和食なら瓢亭の朝粥。洋食ならイノダの「京の朝食」。二大巨頭のようにいつも色々なガイドブックに紹介されていて、私もまた高校生の時にその一冊を見て憧れた旅行者の一人だった。

さくさくの香ばしくて甘いクロワッサンと、ぶ厚いロースハム、お出汁の利いたふわふわのスクランブルエッグ。甘く煮たにんじん、ポテトサラダ。
それらを小さなグラスに入ったフレッシュなオレンジジュースと共にいただいて、全部綺麗に食べ終わってからアラビアの真珠を出してもらうのが私流。
大学生の頃はこの後にビーフカツサンドを注文して、店員さんを驚かせたこともあった。

京都を代表する朝の定食(まさに「定」まった「食」事)として、京都のモーニングの代名詞のように語られてきた。
イノダは、コーヒーを出す店であると同時に、京都の朝の形を育ててきた存在でもある。

私がイノダで砂糖を入れる理由

普段、私はコーヒーをブラックで飲む。
それはもうガブガブ飲む。多分私の胃が荒れてるのは半分くらいがコーヒーのせいだと思う。
そしてあと残りの半分はワイン。

それでもイノダでは、砂糖とミルクを入れてもらう。
「アラビアの真珠」は、モカコーヒーをベースにしたヨーロピアンタイプの深煎りブレンド。豆は​​エチオピア・コロンビアなどのものを使う。
創業からずっと変わらず、イノダのホットはこれだ。

香り、コク、酸味のバランスがもうなんともいえなくて素晴らしいんだけど、これは甘さを受け止めたときに完成するコーヒーだと思っている。
そして一般のものとは違う特別なミルク(フレッシュ)もその味の深さを引き出すために不可欠だ。

昔はデフォルトで砂糖とミルクが入っていたけど、今は店員さんが聞いてくれる。そして私は「全部入れてください!」と元気に答える。

今はイノダのポットがデザインされた可愛いスティックシュガーになってしまったが、角砂糖がぶくぶくと溶けていくのを眺めるのも大切な時間だった。
それは贅沢というより、今の自分と向き合うための小さな儀式に近かった気がする。嬉しかったり、寂しかったり、切なかったり。その時の自分の気持ちを自覚する時間だった。

最近京都に増えるコーヒースタンドは、酸味の強い浅煎りのものが多い。でも私はどうにもあの味に馴染めなくて、濃い深煎りの方がホッとする。古い人間なんだろうな。

清水支店で過ごした、大学生の時間

大学生の頃、今は亡き清水支店によく通っていた。
最初の出会いはひとりぼっちで寂しかった時、詳しくはこちら

遠距離恋愛をしていた、お坊さんの彼。
彼のお寺での仕事が終わるのを待つあいだ、私はいつも清水支店の窓際の席でアラビアの真珠を飲んでいた。
彼のお寺&住まいは、岡崎の方、平安神宮の北あたりなので、清水支店が家から別に特段近いわけではない。

ただただ、あの席が、あの庭が、大好きだった。
朝6時に家を出て行く彼を見送った後にもう一寝入りした後、11時で提供が終わってしまう「京の朝食」を目指して走っていた。

アラビアの真珠に砂糖が溶けていくのを眺めながら、百人一首や伊勢物語、源氏物語の本を読んだ。あの時間は今振り返るととても贅沢だったなあ。

イノダの帰りに気づいた、今の原点

そして、彼との楽しい時間や喧嘩したこと、彼とこの先どうなるのだろうという不安を日記に綴った。
この街で生きていきたい。でもそんなことができるのだろうか。いろんな思いを抱えながら、その不安から逃げるようにいつも清水支店に走った。

いつも、清水支店を出たあとは、そのまま階段を降りて行って、ねねの道を歩いた。
観光客に道を教えたり、地元の人と言葉を交わしたり、外国から来た人たちと微笑み合いながら、感覚が敏感になるような、心がほぐれるような感覚になった。 

「この街にいると、あったかい気持ちでいられる」
そんな思いがした。
彼の家までの道中、私は「この街で生きていきたい」と思い始めていた。

香りが、時間を連れてくる

香りは、記憶を保存する。
言葉よりも、写真よりも、ずっと鮮明に、無防備なかたちで。

香りが記憶を呼び戻すことを、昔の人は、いまよりも深く知っていた。
『伊勢物語』には、ふとした匂いをきっかけに、もう戻らない時間や人を思い出す場面が描かれている。

五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする

ー五月を待って咲く花橘の香をかぐと、昔親しくしていた人の袖の香がすることだ。

夫が、自分から離れてしまった妻に対して優しく詠む歌。懐かしさの中に悲しみが滲む。私は、その話が昔から好きだった。
香りは、意志とは関係なく、心の奥にしまわれていた感情をそのまま目の前に連れてきてしまう。

私にとってそれは、アラビアの真珠の香りだ。
清水支店のテーブルと、ノートを開いていた大学生の不安定でか細い自分。将来への期待と不安、誰かを待つ時間の長さ、ひとりで書いた日記の行間。

だから私は、イノダコーヒの香りを嗅ぐたび、少しだけ過去に戻り、そして、ちゃんと今に帰ってくる。

三条支店から三条店へ

イノダコーヒが積み重ねてきた思想が凝縮しているのが、2024年10月にリニューアルした三条店。
名前を変えたその場所に込められた、「変えながら、続ける」という京都らしさを綴りました。

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