私の迎賓館【南禅寺参道 菊水】庭を守るという経営

南禅寺界隈別邸群という渇望

東京から大事な人が来た時、その人が「和食じゃなくていい」と言ったら、迷わず連れてくる場所がある。
私の迎賓館、「南禅寺参道 菊水」だ。

大学生の頃から、南禅寺界隈別邸群に憧れている。
パナソニック松下さん、ユニクロ柳井さん、ZOZO前澤さん…名だたる企業主の別荘が立ち並ぶ、あの一帯。

嗚呼、ほしい。何年か前、あのうちの一つが売りに出たことがあった。
金額は2億。欲しくて欲しくてたまらなかった。
あの時は高くてひっくり返ったけれど、最近松ヶ崎や二条にできるタワマンが1億や2億ということを思うと、今となっては安かったのかもしれない。

あの庭の水は、琵琶湖から来ている。130年以上前、京都が再生をかけて引いた疏水の水だ。その話は別の記事で書くとして。

私が欲しいのは、家ではなく、この水の流れる風景なのかもしれない。
そしてその風景を、いま体験できる場所がある。

「寿而健」に迎えられる

蹴上の駅やインクラインから南禅寺へ向かう参道。
その途中をすっと右へ、ほんの少し奥へ入る。

観光客のざわめきが、すっと遠のく。

門の上に掲げられた扁額には
「寿而健(じゅにしてこう)」とある。

健康であれば長寿でいられる。
そう、健康こそめでたい。
元気に生きて、美しいものを見て、美味しいものを食べる。
その当たり前を祝福する言葉に迎えられて、ここでの時間が始まる。

ここはもはや単なる宿でもレストランでもない。

一大観光地と静寂のあいだの“間”

門をくぐると、四季折々色を変える楓が出迎えてくれる。

戸を開けると数寄屋造の待合へ通される。
南禅寺菊水の始まりは、政財界人・山口玄洞の別邸。和洋折衷の面白いところがたくさんある。

私はこの空間が好きだ。待合というには贅沢すぎるつくりだと思う。

観光地から一歩奥へ入るとき、いきなり非日常へ放り込まれない。
この部屋が、心を整える“クッション”になっている。

窓から見える庭。
光を柔らかく取り込む灯り。
低く整えられた視線。
網代天井。さりげない菊の意匠。

空間は、人の心拍数を下げることができる。
菊水は、それを知っている。

四季が主役になる庭

4月、レストランの窓越しに枝垂れ桜が揺れる。

淡い花びらがワイングラスに映り、春の空気に包まれる。


この庭は桜だらけというわけじゃない。だからこそ、その輝きが増す。

6月、雨上がりの緑は息をのむほど濃い。
苔は水を含み、赤松は艶を帯びる。湿度すら美しい。

半夏生が凛として涼しげで、こんにちはと言ってくれているような気がする。

8月の炎天下。外は焦げるほど暑いのに、緑がやさしく包んでくれる。いや、その日差しすら、抱きしめたくなる。

12月初め。門をくぐった瞬間、驚くほど真っ赤な紅葉。あの色は歓迎の色だと思う。

1月、葉が落ちて庭の骨格があらわになる。

ごまかしがきかない季節。それでも、だからこそ美しい。
庭師の腕が光る。秋の騒がしさが嘘みたいな、静かで、穏やかな時間。

この庭は背景ではない。主役であり、私の迎賓館のホストだ。
庭にいくつも配置された個性的な個室からは、庭の違った表情をそれぞれ楽しめる。

ワクワクさせてくれる料理

ワインセラーを抜けて席に着くと、グラスがお辞儀をしているようでかわいい。
すごいなと思うのが、窓ガラスがないように見えるくらい、ピカピカに磨かれていること。いつ何時も、ここのガラスはピッカピカだ。
本当に手入れが行き届いていて、すごいなと感嘆する。

庭越しに運ばれてくる料理は、季節をまとったイタリアン。
でもどこか、日本人の口にやさしい。

季節野菜を色鮮やかに美しく盛り付けた前菜。くるくると巻かれたきゅうりがかわいいといつも思う。

和風テイストのお出汁が効いた魚介系スープ。

カラスミや桜エビ、ウニを使った和テイストのパスタ。


ロゼ色に火入れされた肉厚の鴨。その分厚いこと分厚いこと。
鴨は厚ければ厚い程幸せである。

そして密かな楽しみが、菊水の紋の形をしたバター。
その秘密を聞いたら、生クリームと練り直してクリーミーにしているらしい。そら美味しいわけだ。

7月に和食を食べに行った時の祇園祭のあしらいも可愛かった。京都を包む静かな高揚感を、ちゃんと掬い取って伝えてくれている。

料理長がご病気をされたらしく和食はもう今はいただけないけど、このの祇園祭の華やぎは洋食にも受け継がれてほしいなあ。 今年の夏にどきどきしながら行くことにする。

そして最後までもてなしてくれようとする気持ちを感じる、デザート盛り合わせ。

ワインの魔法

ソムリエの樋口さんは、いつも料理に合わせてちょうどいいワインを、ちょうどいい温度で、ちょうどいいタイミングで持ってきてくれる。

そして何より、私のゲストを本当に大切にしてくれる。
妊娠中の姉には素敵なモクテルを。
浴びるように飲む私には、いろんなグラスを。

父は全幅の信頼を置き、母はすっかり虜だ。

私のゲストが必ず笑顔になるのを、私は知っている。
それが迎賓館の条件だと思う。

樋口さんという人については、▶︎「私の迎賓館でワインを注ぐエンターテイナー」で書いている。

庭を守るという経営

この庭を守るのは、専属庭師の平林さん。
中根金作庭園研究所や宮内庁で経験を積んだ方だ。

専属庭師を置くということは、人件費という固定費を抱えるということ。
効率だけを考えれば削れる。

でも削らない。この庭が、菊水の心臓だからだ。

文化は、人件費の塊だ。
人の中に、人の手の中にこそ、文化は宿る。

2018年の再生も、歴史を消費するのではなく、守りながら更新する道を選んだ。

変えながら守るという選択。
それが菊水の経営だ。

平林さんという時間軸については、▶︎「庭を守る人 ― 平林さんという存在」で。

憧れの客室

客室は六室。宿泊者数を増やすことは目指さず、庭の余白を削らない。
1室しかないインクライン沿いの「SPA SUITE」は、春になると桜が窓いっぱいに咲き誇る。

かつて大浴場だった空間を改装した浴室には、湯船がいくつかある。サウナもある。お休み処もある。
豪華だけど、品がある。全然、嫌な感じじゃない。

泊まりたいけど、繁忙期で40万。閑散期でも20万。
ちょっと、何かのすごいご褒美じゃないと、かな。

私の迎賓館

私は埼玉の家族や大切な人を、よくここへ連れてくる。
観光地ではなく、ちゃんと京都の“質感”を感じてほしいから。

門をくぐった瞬間の空気。
庭を前に自然と落ち着く会話。

軽やかで上品な服部支配人の立ち振る舞いも、この場所の品格をつくっている。

初めて父と母を連れてきた日、父は言った。
「今まで来たレストランで一番いいかもしれない」と。

母はいつも、ため息をつくように言う。
「本当にいいところだね」と。

昔のわたしに言いたい。
京都に焦っていたあなたへ。

よかったね。
あなたは今、大切な人を心から歓迎してくれる場所を持っている。

水の物語へ

この庭の水は、琵琶湖から来ている。

なぜ京都は、そこまでの決断をしたのか。
なぜインフラが庭園文化へと転換したのか。

その話は、琵琶湖疏水の記事で。

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