京都に、成る②| プレゼンされた恋 ー阿弥陀の救済ー

二条城のほとり、シェアアパートでの出会い

前段はこちら。
京都に、成る①| 鴨川のベランダで私は「降参」した ー兼好法師の美意識を継いでー

彼と出会ったのは、二条城の真北にあるシェアアパートだった。同じタイミングで東京から引っ越してきた、3歳下の彼。皆で遊ぶ中で、しっかり者という印象はあったけど、当初は特に意識することもなかった。
50人が暮らす巨大シェアアパートの風景については、これまでも綴ってきた。

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二条城内を見下ろすちょっと不遜なこの場所で、東京を投げ捨ててきた私の新しい京都生活は始まった。独りで生きていこう、京都と心中しようと決めていた。まさかここで、私の「独りきりの京都」を根底から揺るがす存在に出会うとは、当時の私は露ほども思っていなかった。

両足首の捻挫、叱られる32歳

転機は2023年9月。百日紅が咲く中、私が不注意にも(日頃から本当に不注意な人間である)両足首を捻挫し、一歩も歩けなくなった時だった。


日頃から親しくしていたグループラインに助けを求めると、その一味であった彼は当然のような顔で私を担ぎ、病院へと連れて行ってくれた。ついでに、迎えに来てくれた私の部屋の汚さに驚愕もしていた。

診察室で先生が両足首のエコーをとってくれる間、あまりの痛さに私は「痛い!痛い!」と恥じらいもなく騒ぎ立てた。すると付き添っていた彼が笑いながらも冷たく言い放った。
「先生が治療してるんですから、そんなこと言わないでください!」

待合室で待っている間、急にふと我に帰り申し訳なくなって「もう帰っていいよ」と伝えても、彼は「暇だから付き合います」と言って会社携帯を触っていた。後になって知れば、当時の彼は初めての人事部で殺人的な忙しさの渦中にいたらしい。

その無骨な優しさに触れ、2人の距離は急速に縮まっていった……なんてことはなく。ただただ、人間として信頼できる人だなあと思っただけだった。
一方彼は、当時を「危なっかしい人だな、と思って見てただけですよ」と振り返る。その淡々としたスタンスが、私には心地よかった。無闇に距離を詰めてこない、割と1人での時間を大切にしている人に見えた。

青天の霹靂のような依頼

2024年1月の深夜。ビジネススクール時代の友人と飲み散らかして泥酔して帰宅した私に、彼は突然、共同リビングで告げてきた。

“理沙さんにお願いがあるんです。俺とデートしてくれませんか”

おうおうおう。なんだなんだ、かわいいな。面食らった私は、「いいよ〜」と答えながらそのままカーペットで寝てしまったらしい。

翌朝。正直、仕事をする時間が減るから嫌だな、と思っていた。当時の私は仕事をしていない時間は原則全て悪と捉えていた。
でも無下にするのも悪いと思い、断るつもりでさっさと済ませようと、彼が好きな北野天満宮へ一緒にお参りデートをした(ちょうど何か用事があった)。

プレゼンと質疑応答

デート終わりに居酒屋で、「理沙さんみたいな人は俺と付き合った方がいいんですよ」と熱心なプレゼンを始めた。

家事はしない、仕事しかしたくない。仕事に全身全霊をかけたい。私が突きつけた「可愛くない条件」を、彼はすべて「いいですよ、そんな理沙さんが素敵だと思ったから」と畳み掛けてきた。
さらに、結婚もしたくない、子供もほしくないと告げる私に、彼はこう言い放った。

“俺といたら、変わるかもしれないですし”

大した自信だ。「とりあえず付き合ってみましょ、ね」と笑うその自信は、一体どこから来ていたのだろう。思えば、後に内見に行った時の決定的な一押しも、同じようなトーンだった。

「別れたら気まずいよ?」という最後の抵抗にも、「俺が出ていくからいいですよ」と即答。実はその時、彼は本気で、私に断られたらシェアハウスを出ていく準備をしていたらしい。その潔さに、私は笑って頷くしかなかった。

ちょうど、その頃の私は30代のどん底一位(暫定)にいた。目の前の仕事が重なり、でも夢は遥か遠く、会いたい人も遠くなってしまった。生きるのが苦しくて、よく独りで仕事をしながら泣いていた。その頃の話は、京都で最も愛するお店について綴りながら触れている。
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コロコロを持参する、献身的な「天使」

付き合い始めてからの彼は、その言葉を鮮やかに実践してみせた。
シェアハウス内でのこと。私の散らかった部屋に遊びに来る時、彼はわざわざ自室からコロコロ(粘着クリーナー)を持参して現れた。私の部屋の床に落ちている大量の髪の毛を指摘され、「気になるなら自分で片付けたら?」と言ったら、本当に持ってくるようになったのである。

そして私の部屋の冷蔵庫やエアコンをせっせと掃除したり、多忙を極める私にニコニコとオムライスを作って部屋まで運んでくれたり、食べ終わったお皿を片付けてくれたり。朝食にフレンチトーストを焼いて素敵な朝を演出してくれたりもした。
※今は、食いしん坊でこだわりが強い私の担当になっている。何しろ私は、下京区で1、2を争う食いしん坊だと自負している。

最初は、一緒にいることで仕事の時間が減ることに強い抵抗があった。でも月日が流れるうちにその時間を許容できるようになり、彼といる時間が穏やかなものになっていった。

京都以外のものを受け入れる怖さ

それでも、一緒に住む提案をされた時は、激しい拒絶反応が起きた。自分の領域が侵される。自由が奪われる。何より、私が京都と一対一で向き合う冷たい研ぎ澄まされた時間が、彼の存在によって濁ってしまうのが怖くて仕方がなかった。

 

私はずっと、こう自分に言い聞かせて生きてきた。

“人生、そんなに多くのことを望んじゃいけない。人生をかけて成し遂げたいものがあるなら、それ以外何もいらない。命を削ったっていい。”

いつか京都に必要とされる人間になること。それ以外の幸せを望むことは、自分の使命への裏切りだとすら思っていた。そんな私を説得すべく、彼は一年もの間、私が「ここなら引っ越したい」と心から思えるような家を、裏でずっと探し続けていたのだ。

眠りこける阿弥陀の救済

同棲が始まってからも、葛藤は続いた。朝も昼も夜も、深夜までパソコンに向かい、本を開き、京都の深淵に潜っている時、彼から「そろそろ寝たら?」と言われることが、最初は鬱陶しくてたまらなかった。

 

けれど。午前3時。ようやく仕事を切り上げ、凝り固まった体で布団へ滑り込むと、そこにはすやすやと、とてつもなく安らかな寝顔がある。その無防備な姿を見た瞬間、私は不覚にも思った。ああ、天使だと。私を孤独から、そして自分自身への呪縛から救い出しにきた天使。
いや、阿弥陀様だと思った。ひとりぼっちの私を救うために、西方浄土からやってきた阿弥陀様。

その寝顔を見つめながら、私は思った。

“私が生きるこの世界は、こんなにも平和だ。”

独りで京都への思いを背負い、肩を怒らせて生きてきた私に、安らぎという名の「救済」を運んできた人。その寝顔に、私はどれほど救われただろうか。彼という居場所を得たことで、私の「京都への愛」は、より強く、より深いものへと変わっていくことになる。

この静かな救済の先に、煩悩という名の108本のバラがあった。
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