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▶︎京都に、成る①| 鴨川のベランダで私は「降参」した ー兼好法師の美意識を継いでー
▶︎京都に、成る②| プレゼンされた恋 ー阿弥陀の救済ー
理想の輪郭、強欲な夢の果てに
2025年6月。紫陽花が雨に濡れる季節に、彼は私に「理想のプロポーズ」を尋ねた。私はすかさず迷わず発注のごとく述べた。

「絶対に京都市内がいい。京都らしい場所で、100本の赤いバラが欲しい」
なぜなら、京都に大切な思い出の場所を一つでも増やしたていきたいから。そして「100本の赤いバラ」は、ずっと幼い頃からの私の夢だった。大学生の頃、欲しいものを聞かれると、私はいつも大体これらを澱みなく挙げていた。
「池泉回遊式庭園、鹿おどし。地位、名誉、権力。あと、100本の赤いバラ」

並び立てる野心のなかで、バラだけが唯一、ヒロインのような可愛らしさを持っていた。彼はその言葉を真っ直ぐに受け止め、私の強欲な理想を叶えるべく、密かに場所を探し始めてくれていた(らしい)。
擦れ違う心、見えなかった優しさ
けれど、その計画が静かに動き出した矢先、私の世界は突然、深い哀しみの色に塗り替えられることになる。
2025年8月。酒癖が悪い同士の飲み友達であり、京都の伝統産業を牽引する憧れの友人が、急逝した。
よく彼女の家で旦那さんやお子さんと一緒にご飯を食べていて、次は私の家で鴨川を見ながら飲もう、と約束してすぐのことだった。

あまりに早すぎる別れに、京都の景色が歪んで見えた。彼女がいなくなった京都の街が、どうしようもなく悲しかった。
実はこの衝撃的な出来事の数日後に、彼は『KYOTONOANO』のローンチ祝いという名目で、旧島津製作所本社である〈フォーチュンガーデン京都〉でのプロポーズを予定し、予約してくれていた。
何も知らない私は、「お祝いなら、前から行きたかったここ(別の店)がいい」と無邪気に提案した。すると彼は、珍しく怒った。そして私はとても嫌な気持ちになった。
今なら、その理由がわかる。彼はプロポーズプランで全てを完璧に整えてくれていたのだ。

しかし結局、直前3日前というタイミングでのキャンセルとなった。そして別のレストランへの予約し直しは、大変な苦労だったらしい。それを知る由もない当時の私は、彼への不信感を募らせていた。
そもそも同棲を始める際、結婚を強く希望していた彼は「ズルズルしたくない。半年経ったら結婚するか別れるか決めよう」と言っていた。なのに、半年を過ぎても音沙汰がない。「結局、口だけかい」とさえ思っていた。彼が必死に準備していることを知っていた共通の友人たちは、そんな私の愚痴を、裏でハラハラしながら眺めていたらしい。
彼が勝手に自分に課した「使命」
当初プロポーズになるはずだった日の昼間は、彼に琵琶湖バレイへ連れて行かれた。そこで傷心の私はカフェをしたりハンモックに揺られたり、放心のままぼんやり過ごした。


夜、フォーチュンガーデン京都で“お祝い”という名のもとディナーをしている時。彼が言った言葉を、今も覚えている。
“りさちゃんは、定期的に京都を離れたほうがいい。京都にいるとずっと仕事脳で休まらない。
ずっと思ってたけど。俺は定期的にりさちゃんを連れ出すことにした。”

それまでの私は、京都から片時も離れたくないと思っていた。仕事をしていない時間が不安で、遊ぶことも苦手だった。1日ごとに変わる京都のさまざまな表情を見逃したくないと思っていて、実家の用事で京都を離れることさえ苦痛だった。
けれど、彼は私を定期的に旅行へ誘い出す。そしてこれ以降それが一層加速した気がする。
ちなみに旅先での私は、驚くほど呑気で消極的だ。旅程も意思決定も彼に任せ、あんなに執着していた「美味しいものの写真」さえ撮らずに、ただのほほんと楽しんでいる。それは戦場のような日常から私を切り離す、彼なりの「守り方」なのかもしれない。

八坂の塔。差し出された108本の赤
9月の初旬。ふいに、東山にある竹内栖鳳邸をリニューアルしたレストラン「SODOH」に誘われた。
「あそこのレストランがリニューアルしたらしいよ。行ってみない?」

ほう珍しくアンテナが高いな、と思い、竹内栖鳳の住まい兼アトリエだった東山にあるSODOHへ行くことになった。けれど、当日までそれがプロポーズだとは露ほども思っていなかった。
しかも、ただの食事だと思い込んでいた私は、どうしても行きたい仕事関係の懇親会と重なったため、彼に頼んで月末へリスケしてもらった。後から思えば、重ね重ね本当に申し訳ないことをしたと思う。ごめん。

漆黒の空に浮かび上がる八坂の塔を前にして、不意にその瞬間は訪れた。
目の前に差し出された、溢れんばかりの赤いバラ。私のリクエストを超えた、108本のバラ。
手渡された瞬間の、ずっしりとした物理的な重み。バラを抱えながら、私は驚くほど冷静だった。視界がバラの赤と八坂の塔のシルエットで激しく揺れる。
“プロポーズされてるわ。
ああ。今、私、京都のど真ん中。”

祖母の遺言、「一度は結婚してみ」
冷静な私の背中を押した、一つの声がある。2024年10月に旅立った祖母の言葉だ。
“理沙ちゃん、とりあえず一回は結婚してみ。嫌だったら別れちゃえばいいから。”
大好きだった祖母の温かな後押し。ウェディングドレスを見せられなかった申し訳なさ。そういえば、旅立ったあの友人も言っていた。
“私らみたいなのは旦那がしっかりしてるのがいいのよ!”
心身ともに疲弊しきっていた私は諦めて、受け入れることにした。
うまくいかないかもしれないけど、あの人たちが言ってたし。この人と生きてみよう。

108という煩悩を抱えて
108本のバラ。
それは「結婚してください」という意味を持つらしい。でも私からすれば、除夜の鐘の音、すなわち「煩悩の数」そのものだ。もしかしたら結婚とは、煩悩なのかもしれない。
独りで悟りを開くように京都を愛でるのではなく、誰かとぶつかり、悩み、欲し、時々共に歩む。
このまちで、泥臭く煩悩まみれに生きてみよう。この煩悩の重みごと、愛してみよう。

独りぼっちの私を救うためにやってきた「阿弥陀様」が差し出したのは、108つの煩悩だった。なんて皮肉で、不可思議な救済だろう。バラの香りに包まれながら、私は甘美な「諦念」を抱きしめていた。





