京都に、成る④|京都と心中する。 ─愛しい景色の一部として生きていく─

 

京都御苑一番地の婚姻届

撮影の喧騒に先立って、私はまず書類の上で、この街の一部になった。四季の京都が描かれた、京都市の婚姻届。

本籍地は、“京都御苑1番地”

区役所の担当者は、慣れた手つきでさらっと言った。
「御苑には番地がないので、まあとりあえず『1』とでも書いておいてください。」
そんなもんなのか、と拍子抜けした。鴨川デルタや糺の森など、二人の好きな場所は他にもあったけれど、やっぱり御所は特別だった。

14年前。憧れて入学した早稲田でのキャンパスライフに絶望し、一人で歩いたあの広大な砂利道。かつて私を拒絶したあの場所を、いま、私は人生の拠点とした。1200年の歴史が積み重なる最高峰の地に籍を置くことは、私がこの先もずっと、京都の地層の一部として生きていくという最終宣誓だ。

そして何よりここは、京都のど真ん中だから。

五条大橋、あの2人を背にした門出

提出後、私たちは五条大橋で、義経と弁慶の像をバックに写真を撮った。背中を預け合うあの二人のようにバディとして歩んでいけたら……なんて思ったけれど。
本当の五条大橋は現在の松原通だし、あの二人の結末を思えば少し縁起が悪いかもしれない。そんな皮肉さえ、今の私たちには相応しい気がした。

 

毎月の「前撮り」と、修造超えのカレンダー計画

そんな「入籍」という事実さえも、私にとっては壮大な「京都との心中」への序章に過ぎない。私は、結婚式までの間、前撮りを「毎月」行うことに決めた。

「ま、毎月!?」とひっくり返っていたけれど、私には当然のことに思えた。愛する京都という舞台に立つ、花嫁としての私をすべて残しておきたい。何より、私の好きな四季折々の京都を、皆に見てほしかったのだ。私の現在地の姿も添えて。

「引き出物に、前撮り写真でカレンダーでも作ろっかなあ」
ポツリと漏らした時の反応は、冷ややかだった。

「誰が欲しいんですか?」
「あなたの姿が『ウォーリーをさがせ』くらい小さいなら、景色として見られるからいいよ」
「まあ、1年我慢すれば捨てられるしね」

……ほう、捨てられる、とな。ならば修造カレンダーのように、31日分がループする「日めくり」にしてやろう。一生、捨てられない呪いのように、私の京都への愛を突きつけてあげよう。

桜への「呪い」、業平に寄せる傲慢な絶望

そんな野望を抱きながら迎えた2026年の春、私はかつてない傲慢な絶望の中にいた。
4月3日の和装撮影を控え、「桜パトロール」と称して、撮影候補地である八坂や祇園白川、岡崎を毎日徘徊していたのだ。

「咲かないで、散らないで。私のハレの日まで、どうか待っていて」

もう祈りなんて、儚く淡いものじゃない。もはや「呪い」に近い執着だった。前日に雨予報が出るたびに胃が焼けるように痛んだ。自転車で桜たちに呪いをかけながら、晴天の下で笑う他の新郎新婦を見て、泣きそうになっては「私の方が京都を愛してるのに」と意味のない八つ当たりを唱えた。

世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし

この世に桜がなければ、春を過ごす人々の心はどれほど穏やかであったろうか…在原業平が詠んだその心が、1200年の時を超えて、毒のように染み入った。切羽詰まった私には、業平の言葉も美しくは咀嚼できなかった。

令和のマリーアントワネット

迎えた4月3日。私が決めた撮影テーマは、“にっぽんの花嫁”


私は昔から、服のコーディネートにテーマをつける癖がある。東京での編集者時代、CanCamの「OL30日着回しコーデ」さながら、「激甘バレンタイン・アポロコーデ」だの「秋のほんのりミルクティー」だのと銘打って出社していた。
徹底的に調べ尽くした撮影場所とイメージ。何が何でも、ソメイヨシノ×和装を完璧にキメるのだ。当日、カメラマンさんやヘアメイクさんにテーマを伝えると、「こんなに熱心な花嫁さんはなかなかいない」と笑われた。

実は今回の撮影費用は、姉夫婦からのお祝いだった。迷う私に、姉は軽やかに言い放った。

色打掛と白無垢で迷っていると、
「2着とも着ればいいじゃない。」

撮りたい場所がありすぎて、撮影場所で迷っていると、
「全部行けばいいじゃない。」

髪飾りや綿帽子で迷っていたら、
「全部付け替えたらいいじゃない。」

令和のマリーアントワネットさながらの、豪快かつ大胆な提案。おかげで私は、自らの我慢を一つも強いることなく、白無垢も色打掛も、理想のすべてを好きな場所で纏うことができた。

15年の孤独、京都の祝福は私を救わない

舞台は、晶子が鉄幹と歩いた白川、巽橋。そして、ねねの道、八坂の道。
15歳の頃から憧れ、独りで歩き、泣き笑い、希望を抱いては失った、あの道。そこでいつも遠巻きに見ていた花嫁と花婿。かつては眩しすぎて目を逸らしたその風景に、いま、私がいる。

道行く人々が「おめでとう」と声をかけてくれる。
ああ、私の街だ。私は、この街の風景になれたのだ。

けれど。孤独に唇をかみしめて歩いていたあの日々が、この瞬間によって報われたなんて、一ミリも思わない。この暗い情熱は、京都という街で「成功」することでしか精算できない。彼と結婚したからといって、私の京都への片想いは何も解決していないし、私は一歩も前に進んでなどいない。その絶望がいつも付き纏った。

NIWAKAの指輪に込めた、“京都の花嫁”宣言

指には、NIWAKAの指輪が光る。理由は二つある。
一つは、京都の企業であるNIWAKAに、私の買い物を通じて京都へ法人税を落としてほしかったから。それもまた、私なりのこの街への、粘着とも言える病的な愛の形だった。

そしてもう一つ。
私は結婚にあたり、誰よりも“京都を極めた花嫁”になると決めた。京都と結婚したかった私が、どうせ人と結婚するのなら、何もかも、すべてを愛する京都で彩ってやろうと。とことん、京都を突き詰めてやろう、京都の王道まっしぐらを行こうと思ったのだ。目指せ、“京都の花嫁”。

半木の道、恩讐の彼方にいた“ご機嫌な私”

和装の熱狂から一週間。4月11日の早朝、戦友であるビゴーレの片岡さんに結婚祝いとして白ドレスでの撮影をしてもらった。“ソメイヨシノ×和装”の次は、“紅枝垂れ桜×純白ドレス”だ。
下見で、半木の道を桜パトロールしていたときのこと。夢中で写真を撮っていたら、品のいいマダムに声をかけられた。

“ごめんなさいね。あなたあんまりニコニコしてるから……。本当に嬉しそうに桜を見てるんだもの。ほら、いい顔してるわよ。”

そう言って、私の写真を撮ってくれた。
ハッとした。殺気立って桜をパトロールし、桜に呪いをかけるのに必死だった私。その私が、忘れていたものを思い出した。

  

そう。本来、私は京都の街にいる時はいつもご機嫌だったのだ。道ゆく旅人に「シャッター押してください」と写真を頼まれるほど、優しく人の良さそうな表情をしていた。そうだ。私はこの街にいると、人に優しくなれる。人の感情に機敏になれる。感性が豊かでいられる。だから、この街に住みたいと思ったんだった。いつかこの街に住もうと大学3年生の時に決めたんだ。

マダムの言葉によって、ぬかるみのように澱んだ私の春が、安らかに閉じられた気がした。

和泉式部の“折を過ぐさぬ人”を求めて

大学4年生のとき綴った言葉。

私はずっと京都に恋をしていて、たぶんこの恋は一生覚めることはなくて。
でも、京都とは結婚できないから、「良いよね、2月の京都」と言ってくれる人を見つけたい。

そう、桜でもなく紅葉でもなく、2月の京都を一緒に愛してくれる人。
あのとき探していたのは、和泉式部が『和泉式部日記』の中で出会った、“折(をり)を過ぐさぬ人”。季節の移ろいや情緒の機微を感じて、時機を決して逃さず分かち合える人。

でも、いま隣にいる彼が、その人である確証なんてどこにもない。むしろ、折に触れてやっぱり違うような気もしている。私たちは明日には別れているかもしれない。完璧な結末なんてここにはない。
だけど、これでやっと、思う存分京都に片想いできるかもしれない——そんな救いようのない邪な思いすら、今の私にはあるかもしれない。

独りぼっちの私を救うためにやってきた「阿弥陀様」が差し出した、108本の煩悩。その重みを抱えて、私はこれからもこの街で、報われない片想いを続けていく。結婚したからといって、私の欠落は埋まらない。

けれど、もう迷わない。全力で、生涯をかけて、京都という巨大な愛しい幻影にぶつかっていく。その覚悟だけを携えて。
私の不確かな物語は、この1200年の地層の上で、ただ始まった。

京都に、成る②| プレゼンされた恋 ー阿弥陀の救済ー
2026.04.18
京都に、成る①| 鴨川のベランダで私は「降参」した ー兼好法師の美意識を継いでー
2026.04.09
京都に、成る③|八坂の塔と 108本のバラ ー煩悩を抱えて、この街で生きていくー
2026.04.21
京都に、成る④|京都と心中する。 ─愛しい景色の一部として生きていく─
2026.05.03