浄土宗と新選組、推し2つの誕生の地

京都フリークを吹聴していると「好きなお寺は?」と聞かれることが多い。
色々理由をつけて挙げてみるけど、さんざん悩んだ末に、私情を挟んでやっぱりここにしちゃうかもしれない。
岡崎、平安神宮の北にある浄土宗の大本山・金戒光明寺。開祖・法然さんが比叡山から独立宣言をして1175年に浄土宗を開いた最初の場所。いわば浄土宗発祥の聖地ともいえる。
そして幕末に時を移せば…。
江戸幕府から京都市内の護衛を任された京都守護職会津藩が本陣を敷き、新選組誕生の地となった歴史の舞台でもある。新選組オタクで知らない人はいない、ここも聖地の中の聖地だ。

くろたに?くろだに?
南には平安神宮、東には南禅寺と永観堂、北隣には真如堂。バス停は熊野神社か岡崎神社という2つの神社が最寄だ。
地元では「くろたに」と呼ばれ、経緯を込めて「くろたにさん」と呼ぶ人も多い。浄土宗のお坊さんたちも「くろだに」と呼ぶ。

「くろたに」、「くろだに」、濁る人も濁らない人もいる。多分言いやすいから「くろだに」と濁っていったのかな。比叡山西塔の黒谷にならって「新黒谷」と呼ばれ、やがて「黒谷」の地名が定着したらしい。今はなんとなく「黒谷」というとこちらのイメージを持つ人が京都には多いような肌感。
いずれにせよ、「金戒光明寺」と言ってる人は少ない。
なお「光明寺」と呼ぶと、西の方にある別の紅葉の名刹とか違うお寺になるのでご注意を。しかもそちらも大体浄土宗だからややこしい。
みんなもある?推し宗派
なお仏教ラバーの私ですが、推し宗派は浄土宗。あったかくて、でも法然さんのクレバーさをちゃんと兼ね備えていて。そういう男性も好き。
ハタチの頃は、「優しくて意地悪な人が好き」が口癖だったけど、心身をすり減らした今はもう、優しくて優しい、優しい人がいい。こちとら人生七転八倒、生きてるだけでしんどいんだから、優しくてあったかいい人がいいですよ。でもどうしても、賢い人がいい。そのあたりのバランスが、法然さんと浄土宗はちょうどいい感じ。
クレバーだけどあったかいのが浄土宗
なんといえばいいのでしょう、この金戒光明寺は「THE浄土宗」の王道、スター感が漂ってる。
そのすごさの1つの象徴が、法然上人が亡くなる前に書いた直筆の「一枚起請文」という、浄土宗の方々にとってそれはそれは大切な文書もここ金戒光明寺にあること。法然さんの命日である4月25日というのは大体浄土宗界隈はお祭り騒ぎなんだけど、4月23日には私たち一般人もお目にかかることができる。
そういう、「絶対秘仏」みたいに一生見せてくれないわけじゃないあったかさというか、親しみやすさも「浄土宗だな~」と思わせてくれる。

土方さんも見た景色
バス停「熊野神社前」でおりて、北東側にある”からふね屋珈琲”の誘惑に後ろ髪をひかれながら、聖護院八ツ橋総本店にも目を奪われつつ、東へずんずん進んでいく。
聖護院門跡を左手に見ながら城のような高麗門を抜けると、立派な山門がお迎えしてくれる。知恩院や南禅寺にも劣らない、立派な山門である。特別公開時期は登ることもでき、容保様や新選組が見た景色を一望できる。天気のいい日は大阪のあべのハルカスまで見えるとか。
なお私は一度も見たことはない。そう、雨女なのである。

高さ23mの山門は1860年にできたもの。
868年に徳川慶喜の大政奉還なので、つまり幕末も幕末。出来上がってすぐ容保様が会津からやってきた。
頭上を見上げて後小松天皇が記した「浄土真宗最初門」の額縁も要チェック。ここにある「浄土真宗」というのは「真の浄土の宗」という意味です。親鸞さんの浄土真宗ではないのでご注意を。
中には立派な釈迦如来や十六羅漢様が祀られている。
愛深きアフロ仏

会津藩士たちが眠るお墓に昇る前に必ずご覧頂きたい、ビッグアフロの阿弥陀さま。インスタなんかでも良く見かける。
こちらの阿弥陀様は「五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀像」と言います。どうすれば私たち一般人が成仏できるかを考えすぎて、螺髪(髪の毛みたいなもの)が超絶長くなってしまった、とんでもなく心の優しい阿弥陀様です。

「劫」というのは長い長~い時間の単位。そのくらい長いかというと、説明しましょう。
約160kmの巨大な岩に、天女が三年に一度舞い降りてきて、羽衣でふわっと大岩を撫でるそうな。その撫でる摩擦で岩が無くなってしまうまでの時間が、一劫。めっちゃ長い。そして五劫はさらにその5倍という、もうよくわからない長さです。
そのくらい長い時間、私たちのことを考えて修行してくださっている阿弥陀様なのですね。表情も愛らしくて、手を合わせていると思わず、ふふっとなってしまう。
骨になったらここに眠りたい

会津藩士たちも眠るお墓を抜けて丘を登り三重塔までいくと、ここでも市内を一望できる。山門に上がれない期間はここから土方さんたちがみた景色を感じよう。
ここまで来ると、我が尊敬する松平容守様がここから都を守っていたというのがよくわかる。

大河ドラマ「新選組!」では筒井道隆様が聡明で儚げな容保様を演じていて、そのイメージが今でも強い。
お彼岸の時期、ここから眺める嵐山に沈む夕日は、「西方極楽浄土」という言葉の意味を眼でしっかりと教えてくれる気がする。ここのお墓は西向きに立っていて、確かにここに眠ったら極楽に行ける感じがする。
嗚呼、私もいつか命を終えるときはここに眠りたいような気もする。
京都に生きていると、結婚式を挙げたい場所とお骨で眠りたいところが掃いて捨てるほどあって困る。
美しき山名、紫の雲がくれる救い
千人を超える会津藩士たちが住んだ広大な境内では、美しい庭園「紫雲の庭」をはじめ、今は桜も紅葉も愛でることができる。

2010年秋には私のバイブルの1つとも言える「そうだ、京都行こう」キャンペーンの舞台となった。

ここの山名も「紫雲山」。紫の雲っていうのはもう極楽浄土の象徴ですよ、阿弥陀様がこの雲に乗って迎えに来てくれるんです。もうありがたいことこの上ない。
庭にいる小さい亀たちも幸せを運んできてくれそうだ。

西の偉大なる建築家による大方丈

大方丈は1935年に武田五一によって設計された。
武田五一って昔はよく知らなかったけど、京都の建築好きからこの名前はもう聞き飽きるくらい聞く。
「関西建築界の父」なんて言われて、京大の建築学科を創った人。京大の時計台や他の校舎たくさん、京都市役所、そのすぐ東にある島津製作所元本社のレストランフォーチュンガーデン京都、岡崎の府立図書館…など。まだまだ数えきれないほどあり、京都を歩いていれば武田五一に大体ぶつかる。
そんな彼が創った大方丈と知ったのはつい最近のことだ。





