ソムリエ・樋口さんという存在
料理が美味しいだけじゃ、迎賓館とは言えない。
ワインが揃っているだけでも、不十分だ。
ある場所が迎賓館になるのは、そこにもてなしの人がいるから。

この人の存在によって、南禅寺参道 菊水は“美食の場所”から“温度のあるおもてなしの場所”になる。
その人物が、ソムリエの樋口裕太さんだ。
南禅寺界隈別邸群に位置する〈南禅寺参道 菊水〉についてはこちらで綴っている。
▶︎私の迎賓館【南禅寺参道 菊水】庭を守るという経営

“ちょうどいい”を操る人
南禅寺参道 菊水のテーブルで、私がいつも楽しみにしているのは料理だけではない。
それと同じくらい、いや時にはそれ以上に、ワインの時間だ。

私はもう樋口さんに、ワインの詳細なオーダーをしない。
乾杯の泡からデザートに合わせるデザートワインまでもうお任せで、飲み終わったら料理に合うワインを持ってきてもらう。
ちょうどいいグラスワイン。
ちょうどいい温度。
ちょうどいいタイミング。
そして、ちょうどいいお値段。

この「ちょうどよさ」は、ただのセンスや知識だけでは成立しない。
それは、相手を見て、考えて、寄り添う意思。
そして、それが迎賓の本質だと私は思う。

言葉のひとつひとつに愛がある
ワインを語る時の樋口さんの言葉は、いつもとても魅力的だ。

ワインの説明は、産地や品種の知識だけではなくて、「この瞬間にどう飲んでほしいか」という思想を届けてくれる。
まるで自分の子どものことを語るように、そのワインのキャラクターや背景を話す。
説明の言葉の端々から、ただ知識が豊富なだけではない、ワインへの慈しみが伝わってくる。

話を聞いていると、「このワインが本当に好きなんだな」ということが、言葉の裏にふわっと滲んで見える。
そして、その語りは、聞き手を勝手にワクワクさせる。
菊水でしか成立しない時間
この2時間ほどの食事の時間を、本当に楽しく、テーマパークのように仕立ててくれる。
私は、USJよりディズニーより、私は菊水がいい(そもそもテーマパークが好きじゃない)。

2時間ほどの食事の時間が、ただの時間ではなく、心の奥に刻まれる体験になる。
それは、料理でも庭でもない。人がつくる時間だ。
そしてその中心にいるのが、ワインを持って微笑む樋口さんだ。

「マダム」「ムッシュ」という呼び方
樋口さんは、女性を「マダム」、男性を「ムッシュ」と呼ぶ。
これは、「年齢や関係性がわからなくても、敬意を失わずに呼べる言葉」として悩んだ末に辿り着いたそう。

これは実用的であると同時に、相手を立てる優しさの表現でもある。
私が女性や男性を連れて行った時、私との関係性がわからなくても、相手を丁寧に呼ぶことができる。

妙に距離を縮めようとするのでもなく、過剰な格式を押し付けるのでもなく。
そのバランス感覚は、まさに“迎賓館の言葉遣い”そのものだ。
言葉だけでなく、樋口さんがワインを扱う姿は美しいし、言葉も上品だから気分がいい。

迎賓とは、安心を預けること
“迎賓”とは、ただもてなすことではない。安心して、身を委ねられることだ。
迎賓とは、“おもてなし”ではなく“安心の体現”なのだと思う。
「ここなら、この人なら大丈夫」という安心感。

妊娠中の姉には、呑めなくても寂しくない、心から楽しめる華やかなモクテルを。
お酒を浴びるように楽しむ私は多彩なグラスワインを。
母はその柔らかな説明に笑顔になる。
父はもう言葉ではなく、樋口さんに選ばれたワインを信頼する。

樋口さんのそれはもう、知識の提示ではなく、その人のテーブルの空気を整える仕事だ。
その瞬間、食卓はただの食事ではなく、“豊かな時間”になる。
もはやワインを注ぐだけじゃない。その場全体を「心地よくする人」。
それが樋口さんだ。

迎賓という文化を教えてくれた人
樋口さんを見ていると、料理と庭と時間が揃っているだけでは、足りないとわかる。
それらを「心地よいものに変える存在」こそが、真の迎賓を成立させる。

私はこれからも、大事な人を菊水へ連れていく。
そしてそこには、樋口さんがいてほしい。

京都には名だたる名物ソムリエがたくさんいる。
でも私は、ここで出会ったこの人の言葉と立ち振る舞いで、「迎賓とは何か」を教えてもらった。
そのことを、私はここに記しておきたい。
この迎賓という文化を支えているのは、庭師という存在でもある。
▶︎「庭を守る人」へ。
