店主 小林優子さん

みのり菓子
月2日だけの幻の和菓子 一期一会、季節の宝石たち

みのり菓子という確立されたジャンル

みのり菓子を紹介するにあたり、いっときは「ネオ和菓子」というキャッチコピーを考えたこともあった。

でも、小林さんが作るお菓子は、次世代の和菓子とかじゃない。後にも先にもこんな人は、こんなお菓子は出てこないと思った。
和菓子屋というか甘味処というかカフェというか。果物をコンセプトに据えているけど、それだけじゃない。洋菓子ではないし、和菓子とも言い切れない、もう「みのり菓子」という新ジャンルと位置付けていいのではないかと思うのです。

勝手に運命を感じて

オープンは月に2日程度。

数年前、雑誌をパラパラめくって新たな京都のネタ探しをしていたときのこと。みのり菓子のことを小さく小さく紹介しているコラムを見つけた。
よくよく読むと、自宅から走って1分くらいの距離にある。そんな偶然に運命を感じて、嬉々として小林さんを訪ねて行った。

移ろう季節の一瞬、きらめきを切り取る

小林さんのお菓子のすごいところ一つ目目は、季節ごとにある京都の美しい風景をパッととらえる感性。京都を代表する和菓子屋さんの名店、「老松」で菓子職人だった小林さん。聞けばなんと、旦那様も同じ和菓子職人さんだそうな。もう、なんて素敵な夫婦なの…。

小林さんの美しく繊細な手しごとは、そうした京都に脈々と続くお菓子や技術に由来するけれど、季節の風景を切り取る力は、彼女の天性の才能だと思う。そらもちろん彼女のたゆまぬ努力もありますよ。でも、彼女の感性は、神が与えたような神秘的な、神聖な、尊ささえ感じさせる。

京都の繊細な美意識

「京都の何が好きなの?」と聞かれると私はよく「京都に根付いた、季節に対する繊細な美意識が好き」とモゴモゴしながら答える。もうちょっと具体的に挙げてと言われたら(あまり言われたことはないけれど)、現代に目に見える一つの例として、みのり菓子を胸張って挙げたいと思う。そう、季節の移ろい。

春夏秋冬だけじゃない、春から夏へ移る日差し、夏の中に顔を覗かせる秋の気配、冬の中にある春の光…。そういう、季節の中における1日ごとの微かな移ろいや、ある日の一瞬のハッとさせられる儚さや煌めき。1000年前、和歌の世界にちゃんと表現されていた世界。抱きしめたいような、宝箱に閉じ込めて一生大事にしておきたいような瞬間。

小林さんはそういうのを見逃さないで小さなうつわにとじこめて、ぼんやり生きている私たちに「ほら」と優しく大切に差し出して見せてくれる。まるで、上賀茂神社の蛍を捕まえて、お母さんが子供に目の前で手を広げてくれるように。

二人のお子さんがいる小林さん。その瑞々しい感性はまだ汚れを知らない少女のようなのに、作り出すお菓子にはお母さんのような深い愛情やあたたかさを感じる。

和泉式部みたいな一歩目線

小林さんの目にはこの景色がどう映っているのか。

 “景色にしても自分のことにしても全部客観的に私は見てるんですよ。だから、そこにいる自分から見るのではなくて、大きく言えば地球を外から見てるような感じで季節のことを見てる。どちらかというと自分の周りにある景色というよりは、その今ある景色を、ちょっと上から。

桜が咲いてたら、ここだけ切り取ったら桜だってなるんですけど、桜が咲く前とかその後ってやっぱり季節全然違うじゃないですか。そういう、自分の肌に触れる風だったり、雨が降ったら春の雨の質感だったり、匂いだったり、和菓子を五感を使って食べるのと同じように五感をフルに使って、いろんなものを普段から見ているようにしています。

雨音の表現とかも、窓から見ているこの景色というよりはこれをもうちょっと引いた視点で見ている。自分が見ているのではなく、誰かから見たら、多分私と違う景色で見てはることになるので、そういうのは全部ひっくるめた上での見方というか。”

ああ、小林さんの世の中の見方は、紫式部や和泉式部、あの時代の女性たちと似ている。
たぶん景色を没入して見てるというよりはその景色の中にいる私を、やっぱり誰か客観的に恋人が来なくて悲しいと思ってる私を見てる。この女性(私)の視点で読んでる。でもだからこそそれを読んだ人は、ここの視点に立てるみたいなのがすごい。

誰もに寄り添える景色を描く

“お菓子も目の前に出されて、例えば「葡萄の雨です」って言われたら、想像するのってやっぱり一人一人違うので。

それを誰もが想像できるような、それぞれの景色で想像できるようなことを、私がこうちょっと遠くから見てるような感じ。わかりにくくてすいません。笑
一人一人の気持ちって違って当たり前なので、それをいかにお客さんの思っておられること、想像される景色に寄り添ったものが作れているかどうかだと思います。”

だからこそ、みのり菓子は誰の心にもすっと入ってくる。私のためのお菓子のように、私があの時見た風景とか、憧れていた風景とかに思えてしまう。誰の心にも寄り添うお菓子になる。小林さんが主観的じゃないから、私たちは主観的にみのり菓子を向き合える。

世界を彩る、和歌みたいな一皿

そして、すごく和歌とか古典の美意識に近いなと思うのが、小林さんの手にかかるとどんな景色も美しいものに昇華されるところ。夏の雨なんてジトジトして嫌、という人もきっといるでしょう。でも小林さんは、それを美しくて可憐な一皿に仕上げてしまう。

突然ですが、私は、和歌の力というのは哀しみが美しいものへと昇華されるところだと思っている。どんな深い悲しみも、叶わない恋心も、恋人の不在も、切なさも、いつまでも残したいと思うような芸術になってしまう。全てが愛おしくなる。そして心を癒してくれる。そして、美しいものは、もっと美しくしてくれる。ため息が出るような美しい景色や幸せな恋には彩りを、色を、華を添えてくれる。

こういう世界が好きで、こういう意味のないことを考えています、といった時、小林さんはこう言ってくれた。

“人にとってはなんでもないものかもしれないけど自分にとって重要なことってありますよね。人が見つけられそうで、見つけられないものがそれなんですよ。”

人には何でもない、私には大切なこと

鼻の奥がツンとした。

大学生の時、文学を学ぶ意味に迷った時、こんなにも生きることを美しくしてくれる文学を大切にしたいと思った。だからもっともっと勉強しようと思った。そう思ったのは京都の風景を見ながら和歌を学んできたからだった。このまちにいると、自分を取り巻く世界を好きになれる。見知らぬ人にもやさしくなれる。人の表情や感情に敏感になれる。

そう、感覚が鋭くなる。この街にいると感性が豊かでいられると思った。だからこの街で生きたい、この地で和歌を全身で五感をフル活用して学びたいと思った。

それで同志社への国内留学を決意したのだけど、そのときの優しい気持ちを、小林さんはお菓子を通じて私に思い出させてくれる。

目の前のお菓子を生み出したときの思いを小林さんが語っていると、もう涙が出そうになっちゃったりする。なんというか、私の代弁者というか、アーティストでもなんでもない私の代わりに、私が大事にしたいこの美しい日本の世界を可視化して表現してくれる人。あえていうなら、和泉式部に対する感情に近いかも。

だから私は小林さんに感謝すらしている。

「スープで食べる」という革命

小林さんのすごいところ二つ目が、その切り取ったきらめきを美しくて美味しいお菓子に表現する高い技術。旬のフルーツの本来の魅力を引き出すアレンジと、和菓子では馴染みのない食材を大胆に使ったあっと驚くような仕掛け。

抽象論じゃわからないですね、具体例をいざ。

私が勝手に選ぶ名作は〈スープで食べる苺大福〉。

普通の苺大福は、主役のはずの苺が見えない。苺が足りない。苺を主役にした苺大福を、という思いから生み出されたとんでもない傑作です。これ、私自身そう思っていた部分があって、苺以外の部分をなんというか、ちょっぴりぞんざいに扱って(食べて)しまうよね。苺だけがご馳走で他はそれ以外の付随物、みたいな…。だったら苺を食べればいいじゃない、と言われそうな、なんとなく申し訳ない心持ちでいた。

ところが小林さんの苺大福は、全てがイチゴに包まれている。目が覚めるような甘酸っぱい苺のスープの真ん中に、小ぶりのこし餡大福がちょこん。あんこがさらりとしてくどくない。上には追い討ちのように苺のスライスがトッピングされ、薄切りの小さな柚子が爽やかさをプラスして。過不足のない、もうギリギリの絶妙なバランスの上に成り立った繊細さ。京都の冬を代表するお菓子になると心から信じている。

でも、この名前はあんまりに気に入っていないそう。みのり菓子の創世記に作られた、割とストレートな名前。「いい名前つけてくれる人がいれば、それに変えてもいいと思っていて」と小林さんは笑った。

雨音をぎゅっと閉じ込めた「葡萄の雨」

見た目の可愛さに一目惚れしたのが、雨粒をイメージした「葡萄の雨」。

シャインマスカット、ブルーベリー、タピオカ、緑豆…丸いものを集めた、見た目も涼やかで、爽やかな夏のお菓子です。

見ているだけでカランコロンという音が聞こえてきそうな、初夏の雨粒が目に見えたらこんな感じかなと思えるような、透明な器にぎゅっと音が詰め込まれた一皿。口に入れると、色々な丸いものの歯応えが口の中でお祭りのよう。でも不思議と散らからない、まとまった味に仕上げる小林さんの技術の高さよ。

雨の日が続いていた時、そこの軒に落ちる音、消えていくものを見ながら、でも、それが音が聞こえるようで作ったお菓子だそう。みのり菓子の楽しみ方としては、まず目で楽しんで、口に入れたらじっくり口の中で味わって、目を閉じて季節の情景を心の中に浮かべて癒されて。

そうしたら、ほら、もう涙が出ちゃう。

寒天の概念を変えた、浜辺の宝物

無類のパッションフルーツ好きとして語らずにはおけないのが、「渚」。

桃とヨーグルトのスープに寒天と淡雪かんが入っていて、違う二つの寒天の歯応えを楽しみながら、それをパッションフルーツソースがぎゅっとまとめ上げる。小林さんが”浜辺にたどり着いた宝物のよう”と表現するのがピッタリな鮮やかさ。パッションフルーツの使い方が本当に絶妙で、タネのプチプチした食感が良いアクセント。

渚は広島・因島の海辺に立って一気にできたお菓子だそう。

“因島の海岸に足を踏み入れた瞬間、作りたい感情が押し寄せてきて。「何、この世界」と思って。こんなところがあるなんて、すごい衝撃を受けたんですよ。日がもうちょっとで沈むぐらいの時間帯、海と空と夕焼けが全部入り混じってて、キラキラして、あまりにも本当に美しくて。”

目を輝かせて語る小林さんを見て、この夏は因島に行こうと思った。

寒天が物語る小林さんの凄さ

このお菓子たちを食べてすごいなといつも思うのが、「かん」。和菓子好きとしてなんだか情けなくてあまり公言してこなかったが、実は寒天の食感が好きではない。葛は大好きなのだけど、口の中でボロボロ(悪く言えばグズグズ)散らばるあの感じが、どちらかというとすごく苦手だ。和菓子屋でアルバイトをしていた大学4年間をもってしても、寒天はやはり好きにはなれなかった。

でも小林さんは、寒天や葛を魔法使いのように自由自在に操って、私を寒天好きに変えてしまった。配合を工夫して、それぞれのお菓子に合わせたベストな食感を作り出す。寒天が苦手な人にこそ、ぜひみのり菓子を食べてほしい。いわゆる最近流行りのアセットデゼールとも違う、一つ一つ中身の詰まった、見た目だけじゃない一皿なんです。

四季色とりどり、海山の恵みたち

他にも、粒そのままの赤山椒が散らされたチョコレートケーキやえんどう豆のお汁粉、茗荷が載ったむちむちの葛もち、生姜の入った道明寺餅…。

ああ、白味噌と百合根のスープも、食べ終わってしまうのが悲しいほどの美味しさだったなあ。



他の和菓子屋さんでは絶対出会えないものたちに、みのり菓子では出会える。ここでの出会いは、いつだって新鮮で心がときめく。

何かに導かれるように作り続ける

京都の名店、老松で20年もの修行を積んだ小林さん。でも、権威ある和菓子展で大賞を受賞し、自分が表現したい世界は違うところにあると気づいたそう。作ったのは百人一首の名歌だった。

君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣でに 雪は降りつつ

お茶席のために作った、袖に溜まっていく雪を表現したお菓子は、小林さんにとってもう、表現したいお菓子じゃなかった。

“「もういいかな」って思ったんです。これは私のやりたいものじゃない、って。今、みのり菓子として同じ歌で一皿を作ったら多分全然違うお菓子になるでしょうね。”

“みのり菓子って、私が作ってるんですけど、私自分で作ってないような感覚で作ってるんですよ。手は動いてるけど、やっぱり客観的に見て作ってるねっていう感じで、私いつも見ながら自分の手を動かしてる。作ってる自分さえも客観視してる自分がいる。何かに動かされて作ってるってスピリチュアルっぽいんですけど、何て言うんでしょうね。作るべくして作ってる感じとも違う。

やりたいからこうやってるだけなんでしょうね。好きでやってることなんで楽しそうに作ってるなみたいな感じで、ああお菓子作るの好きだもんねって。見てる自分がいて、そこで体が作ってくれてるっていう感覚で作ってる。”

大切に守りたい、作り手とこの空間

小林さんが老松さんを離れてでも表現したかった世界が、今こんなにも私を幸せにしてくれていることを、心から伝えたい。

小林さんとお話をしていると、作り手の人柄というのは作品に滲み出ることを教えてくれる。小林さんがお菓子のことを語る時の言葉遣い、丁寧に紡ぐ言葉、手仕事の丁寧さが伝わる温かみのある字…。小林さんの全てがあのお菓子に詰まっているようで。

でも、この人はあまりに感性が鋭すぎて敏感で、この汚いことがいっぱいある世の中に置いておくにはなんだか勝手に不安になって心配したりしている。
大きなお世話だな。でもそれくらい、小林さんの感性を、私は心から愛している。

景色も子供も、一歩引いて

私は今、誰かと生きていくとか誰かを育てるってことがあまり想像できない。小林さんに、結婚や出産を経て自分の見える世界が変わったか尋ねたら。

“私の場合、そもそもちょっと考え方が変わってて、子供は子供の人生。私は私の人生で完全に別れてるので、彼・彼女状態なんです。彼らは別に自分の分身でもないし、もう一人の人格。だから彼らを見て何かが変わったとか、お母さんの目線になったとかはなくて。

変わるとしたら自分自身の何かが変わって、お菓子が変わっていってる。お母さんの時は子供に対して「ああ自分の分身やな」って思う時もあるんですけど、でも一旦そこから離れて実り菓子っていうので入るともう全く別です。

自分と相手って思いすぎると、相手に感情移入してしまうと、多分視野が狭くなっていっちゃう。やってあげたいことなんてそりゃもう山ほどありますけど、そこにじゃあ全部注いでしまったら、私の人生は?ってなっちゃうので、私は私のやっぱり人生を楽しんでいきないといけないし、やりたいこともあるって思うので。視点を引くことであり、場合によってはちょっと物理的に離れて、一切受け入れない。”

小林さんにとってのこのみのり菓子はそういう場所でもあるんだろう。

“私はこうしたいっていうのがあれば、やっぱりそれを最優先にしてあげることで余裕というか、ゆとりが自分にとってのゆとりが出てくるので。それができたら、じゃあちょっとこの隙間に見てあげようとか、そういうのを他のことできるかなとか。やっぱりまず第一は自分が大事ですよ。”

覗いたら仏教の世界が垣間見えた

ーこういう人に来てほしいとかないんですか?

“そういうのは特にないんですけど、本当にその辺自由で。

こう食べてください、とかもない。上からの言い方になっちゃうかもしれないですけど、来たい人が来たいって思って来てもらったらいいし、何かに呼ばれるように来てくださる方もやっぱり中にはいて。お菓子食べて泣いて帰れるってあんまりなくないですか。料理とかならあるのかなって思ったりもするんですけど。食事は衣食住の中に必ず入っているし、食べないといけないんですけど。お菓子ってなくても生きていけるもので、それを食べて泣くって私はしたことがなくて。

でもそれをここ数年、結構言ってくださる方にも多くて、人とでも寄り添えたお菓子が作れているなら、と。それぞれの個人のいろんな人に言えない悩みとか、いいことも、悪いことも、でもここにいる時間、このお菓子食べてる時間にきっと感じてくれているのかなと。すごく一対一できちんと食べてくださるなっていう方もすごく多いんですよね。

日本人は特に時間にも縛られているので、もっと自由に解き放ってほしくって。一回全部ゾッて下ろしたら自分しか残らないじゃないですか。自分さえもただ体がそこにあって動いてるだけなんで。いろいろおろしたらすごい楽になるんです。そう思ったら私ってすごい軽いやんって。この辺にいるけど、すごい軽いやんって。”

赤ちゃんと仏教に通ずるもの

“生まれたての赤ちゃんって多分そうだと思うんですよ。何にも背負わないまま生まれてきて、真っさらなんですよね。何も持ってない、ただ泣く。
でもみんな人生でいろんな経験してるうちにいっぱい背負って。すごい大きな塊になってるので、ザザザっていろんなものを削ぎ落としていく。そうすると自然とああいうお菓子になる。余計な他人への期待とかいろんなものを何にも入ってない。そんなの自分のエゴとかですよ。欲もなければああいう風に見えたらいいなとか、ああいう風に食べてほしいなとか。こんな人に食べてほしいなっていうのも全くない。お菓子がただそこにあるっていう。”

ー仏教の感覚にすごく似ている。その感覚ってありますか?

“ありますよ。無になるのが好きなんですそうなんですね。何も持ちたくないし、何もが増えたくないし、ここでも2年ぐらいは特にそういう意識が芽生えてきた。芽生えてきたというよりはそういう気持ちがお菓子作るのに邪魔だなと思って、そういういろんな人が思ってただけやったなっていう気がついたのか、自然にそういう自分の考えがなっていたのか分からないんですけど、必要ないなと思って手放しただけでものすごく簡単に手放せるんですよ。「いらないんじゃないの」って、客観的に見ている自分が言ってくる。心より先に思考として頭で思ってる。”

”美しさ”が持つ意味

和菓子は美しくなければならないという小林さん。小林さんにとって美しいとは。

“ストーリーがあるかないかだけです。こんなに綺麗にデコレーションしてあるケーキでも、なんでこの形なの、どうして絞り方なんだろうとか、この果物なんで使わなかったんだろうっていう。そこに意味があって職人さんが作られているのであれば、それはすごくきれいなことだと思う。

見た目がどうこうはその人の好き嫌いだけであって、好みとかもある。スパンコールがパーってなってきれいって言う人もいれば、ちょっと派手だなって思う人もいるでしょうし、そこにちゃんと意味があって作られているもので、その人にとってそれを教えてもらった時に「あ、きれいだな」って思ったら、きっときれいに映ってるんでしょう。”

“例えば形にしろ、もしかしたら使ってる器にしろ。その表現、その色とか使っている素材とか、色もイチゴの切り方にしてもなんでこの形なのってなった時に、そういうのが自分の中で何かがあるんですよって言えると美しいなと。出来上がるまでに何があったのかとか、どうしてそれを選んだのかとか、そもそも何で作ろうと思ったのか。それが別に何もないのは、ちょっと私にはわからない。

私は意味があって作るストーリーがあって作るっていうのは常にやっぱり気にしているというか、気をつけないといけないなと思っているので、ただ作ってるだけだとお家で普通にお菓子作ってるだけになっちゃうので。”

大事なのは、前後と流れ

ストーリーというのは別に長い歴史があるとか、そういうことだけじゃない。多分やっぱり桜が綺麗とかもみじが綺麗なのはやっぱりそこにその前後の時間とかそこまでのいろんな人が込めてる思いとか、多分いろんなものがあるから美しいと思うのだ。私がそんなことを言うと、小林さんは思いがけないことをいった。

“人生と一緒ですよね。普段、何気なく生きてても、誰かにも支えてもらってるし、自分が見てるものってずっと同じもの見えるとは限らないじゃないですか。消えてなくなっちゃったらもう二度と会えないし、そう思ったらやっぱり一瞬一瞬大事にして過ごさなきゃいけないし。”

そういうことに気づかせてくれるのがみのり菓子さんのお菓子だ。去年の10月に、大好きなおばあちゃんが亡くなった。とてもとても悲しかった。実はまだあんまり実感が湧いていない。でも時折すごく悲しくて涙が出る。最近、この風景が当たり前じゃないって気付いたんです、といったら小林さんが微笑んだ。

“きっと、おばあちゃんが気づかせてくれたんですね。”

ーああ。インタビュー中なのに、不覚にも泣いてしまった。

見えないものを見るまなざし

ーずっと聴きたかったこと。小林さんの、日々美しいものを見逃さない秘訣。

“特に何かを注意してやってるというわけではなく、目に見えないを感じようとすることはやってます。雪とか雨とか風なんて見えないじゃないですか。それを目に見えているものと一緒に感じようとすることは結構やってますね。”

“雫でもすぐ消えちゃうじゃないですか。葉っぱの上に乗っててもポロってなった瞬間に形もなくなっちゃうし、一瞬で消えちゃうものとか、すぐなくなっちゃうとか、すぐ消えちゃうとか。風みたいな、目に見えないものを目に見えるものと一緒に感じている。

例えば風だったら。吹いてる風も今、もう真冬の風じゃないじゃないですか。自分の中では、葉っぱの間って絶対こうなってるよなとか、そういういろんなことを葉っぱの気持ちになって想像してみたりとか。

うん、やっぱり自分じゃないんですよね。自分から見た何かではなくてそのものからしたらどうなんやとか、あの風どこ行くんやとかなるほど、そういう感じですね。視野には限界があるんですけど、自転車乗りながらでも割とそういうことは感じながら、走ってるかも。”

これからのみのり菓子のこと

ー小林さんはこれからどんなお菓子を作りたいのかしら。

“京都の三条堀川に若葉屋さんていう素敵な器屋さんがあって、そこでおちょこをみたら、ここにお菓子を入れたいって強く思っちゃった。全部そこに収まったらどうなるのかしらっていうのがすごい気になって。

ちっちゃいくず餅とかソースとか口の中にいろいろいる、口の中で一つの世界が広がる感じ。例えばスープで食べるいちご大福みたいな、あれで一つの世界だったものを、ミニチュアのようにキュッとちっちゃくしたらどうなるんだろうって。もともと和菓子ってそうじゃないですか。こんなにちっちゃいのにストーリーがあって世界が広がってるので、私もできるかなと思って。”

おちょこを見たら普通お酒だ。でも小林さんが見ると、お菓子入れたくなっちゃう。

京都だから、ああいう果物の色だったり、そんなにめちゃくちゃ派手なお菓子はきっとないかなとも思います。イチゴ大福とかも、色・味はイチゴの鮮やかさがあるけど、別に派手とかじゃなくて果物本来の色だし。

きっと京都で見たり感じたりしたものが形や色になってるんだろうなって思う。京都は好きだけど、もっと自由にお菓子を作ってみたいな。”

一人で行くか、食いしん坊と行くか

とまあここまで読んでくれたあなたが行きたいと思ったらInstagramでチェックして事前予約してください。
カフェ利用としてアラカルトでオーダーできる「みのり喫茶」と、コースでいただくみのり菓子の日があるのでよく見てほしい。みのり喫茶はお菓子のお取置きもできるので、全部予約しておいたらいい。私は自他共に認める食いしん坊だから一人で全部食べちゃうけど、誰かを連れて行ったらいろんな種類を食べられるからオススメ。

でも、みのり菓子とゆっくりじっくり向き合える人と行ってほしいなあ。決しておしゃべりするためのカフェとしては行かないでほしいな。食べることに集中できる人とぜひ、お願いします。

一期一会のお菓子たち

出会えるお菓子も一期一会。

フルーツや食材次第なので、一瞬で終わってしまうお菓子もあるし、しばらくいらっしゃるお菓子もある。でもそれも楽しくて、今行かないと会えない、と思って頑張って行ったりするのもいいし、その時々に出会うものに「こんにちは、あなたはどんなお味?」と尋ねるのもいい。

色とりどりのお菓子との一期一会を、どうか大切にしてほしい。

これまでの 私を肯定してくれる スープで食べる 苺大福

みのり菓子
〒602-8155
京都府京都市上京区主税町1066−1 みのり菓子アトリエ
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