ドラマチックな恋の舞台装置|【祇園白川】柳と桜が揺れる春色を帯びた石畳

春色を帯びたまち、祇園白川

私の中で祇園白川の界隈は春色の空気をまとっている。この街には、とかく春がよく似合う。そして、夜の情緒だ。
それはたぶん、晶子の歌のせい。

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき

これは円山公園のしだれ桜を詠んだと言われる。諸説あるが、当時の地図を見てそのように読み解くことも十分できる。
清水寺に向かう途中、祇園をよぎっていく時の桜。枝垂れ桜とソメイヨシノが咲き誇る祇園白川の情緒は、もう何も言えない。
鴨川沿いの川端通から東へ。白川南通、石畳の道へ入れば、頭上はソメイヨシノに覆い尽くされて。

テラス席には海外からのお客さんがよく座っているけど、この季節の夜なんて寒くて無理無理。

京都の中でもちょっと別格

元来祇園一帯は祇園社(今の八坂神社)の門前町として栄えていた。江戸時代になると、町民の大衆文化として人形浄瑠璃などの小屋が建ち並び歌舞伎の舞台ともなった。特に芸能と深く結びついて発展し、今も伝統を継承している場所だ。この辺りはちょっと、京都の中でも別格の雰囲気。

巽橋のあたりへ近づけば枝垂れ桜に柳も美しい彩りを添えて、夢のような道が続く。あの一帯を桜満開の夜に歩くともう、冒頭の歌のすべてを体感させられる。
晶子の歌が嬉しくて悲しく響いてくる。

美しく恐ろしい京都の魔力

晶子が恋人・鉄幹と京都で逢瀬を重ねた折に詠んだ歌はどれも美しく、京都という街の力を感じざるを得ない。やっぱり京都という街は、どんな恋愛も美しいものにしてしまう、鮮やかに彩ってしまうところがある。それが京都の魔術であり魔力であり、恐ろしくて残酷で、美しくて儚いところだ。

巽大明神で白川南通と合流する一本北側の祇園新橋は、江戸末期からの町家が並んで風情がすごい。祇園独特の町家茶屋の街並みだ。一階は千本格子の出格子。二階は縁を出し「すだれ」を掛けて、隣同士の町屋との一体感も美しい。

晶子、23歳の情熱

晶子がこの歌を詠んだ歳くらいの春、男の人と祇園白川で待ち合わせたことがあった。
私はお気に入りの着物を着て、フグを食べに行った。大将が席に来て一つ一つ七輪と網で丁寧に焼いてくれるフグに感動した。あの時はよくわからなかったけど、日本酒の種類が豊富なのも嬉しい。意外と京都で鯖寿司をちょっとだけ食べさせてくれるところが少ないので、〆の鯖寿司もありがたい。
気になった方は、「祇園かわもと」と調べてみて。

店を出て巽橋を歩く帰り道、私たちを照らす月の光は冴えざえとしていた。この世の全てが美しく見えた。
まさに「こよひ逢ふ人 みなうつくしき」だ。すれ違う人、全てが美しく幸せに見える。
23歳のうら若い晶子も、人生の最も美しい瞬間を噛み締めていたに違いない。

浮かれて失敗した恋、恋になる手前の恋

そう、ここにいると、何をしても小説の1ページみたいになる。
祇園は、京都は、そういう場所だ。幸せな体験が最高に輝く楽しい場所が、京都である。

そうして盲目になって浮かれて失敗した恋もあったし、恋になる手前の淡いふわふわしたものもあった。

恋に失敗した時には、いつもいつも悲しかった。
私も晶子のように文才があったら。晶子になれたら、晶子のように歌が詠めたら。
そうしたら、この哀しい恋を芸術に昇華できるのに。この哀しみを全部抱きしめてあげられるのに。心残りの恋も、散っていった美しい場面の数々も、言葉で残せたら。誰かの心を癒すような美しい芸術にできたら。
でも、そうできない私は、ただのつまらない女だった。

晶子や白蓮が羨ましい。もしその生涯の結末が不幸であったとしても、あんな風に生きたいと願った。でも、できなかった。叶わなかった今、こうして筆をとっているのだと思う。

恋人に付いていって、寄り添って

もう一つ、晶子の歌。

人にそひて 今日京の子の 歌をきく 祇園清水 春の山まろき

なんて妖艶で美しいのだろう。
人というのは恋人の鉄幹を指すのだろうか。鉄幹に寄り添って舞妓さんの歌をきく祇園清水。やわらかな春の山…。
山は東山だろう。東山も春が、春霞が似合う場所だ。春の東山の朝日より尊いものはない。

そしてこの、「人にそひて」という言い回しも、なんとも品があるけど女性らしいたおやかさがあって好き。妖艶ながら上品。
晶子はやっぱりすごい。京都の街の色をこの言葉にしたような、京都のことを言葉にさせたら右に出る人は今もいないと思う。

大事なのは横を歩く人?

鉄幹に生涯恋し続けた晶子は、いつもどんな思いで鉄幹の隣を歩いたのか。
晶子の思いを想像しながらあの辺りを歩いてみると、毎度のことながらすごく切なくなる。隣を歩く人で、人生はまるで変わる。

私の場合、京都で過ごすとだいたいの人と楽しく過ごせちゃうからすごく危ないところがある。このまちで起こるすべてのシーンにときめいて、隣にいる人を愛しくなってしまう。振り返れば、東京という場所で誰かを本気で好きになったことはなかったような気がする。

女を酔わせてしまうまち

林真理子の短編小説『京都まで』を、京都好きの人なら知っているかもしれない。私は主人公のバリキャリ女に、なんとも共感性羞恥のような感覚を覚える。

東京の出版社で働く30歳の女性が、京都出身の20代の男の子、いわゆる京男と恋をする。
そう、この、仕事しかなかった、仕事が全てになっている感じも、東京の出版社で働いていた当時の自分と重なってすごく嫌。
で、主人公は2週間に一回東京から京都に来て、男の子と社寺を歩いたり庭を見たりしっぽりした時間を過ごして、そんでもって夜はめちゃめちゃに激しく熱い時間を過ごして。

そんなロマンチックな時間を積み重ねていたのに、男の子にふと「京都に来ちゃおうかな」といったら一気に男の子が尻込みして離れちゃって。
というか男の子はそもそもそこまで主人公にのめり込んでいなかっただけなんだけど。

そうして最後、主人公は現実に引き戻される。自分は身の回りのものすべてに酔っていただけ、浮かれていただけということに気付かされる。そんな、30の女。
あーあ、なんて残酷なお話。これに共感しない方が無理だ。

京都だけが、失いたくない存在で

でも私が彼女とちょっと違うところがあるとすれば、私は「その人に恋をしていたのではなく、京都に恋をしていたのだと気づいちゃった」感じだ。
私の場合、どんなに好きな人も、時がたつと哀しみも愛情も薄れていく。あんなに大好きだった人を、忘れていく。

でも、どんなに時間が流れても、離れても、京都だけは忘れられなかった。失いたくない存在だった。私の人生に、なしでは生きていけない存在だった。

雨は雨とて良きものにしてしまう街だから

ぜひ覚えておいていただきたいのが、この辺りの石畳は、雨に濡れるとまた美しいということ。月が見えなくともがっかりすることはないのです。
雨こそ京都の真髄だから、忘れないで。せっかく春の京都に来たのに雨だ、なんて日は、ぜひ和泉式部の歌を思い出してほしい。

春雨の 降るにつけてぞ 世の中の 憂きもあはれと 思ひ知らるる

春雨が降るにつけても、この世の辛いことも趣深いものに思えることです…といったような意だ。

和泉式部はまあ物思いにふけるのが大好きな鬱々とした人なのだけど、これはちょっぴり前向きな歌。
傘をさしながら石畳を一歩一歩踏みしめて、叶わなかった思い、傷ついた言葉、そういう一つ一つを、思い出しては趣深いものに昇華して行ってほしい。一人で歩くこの場所も、また良きものです。

酔ってみるのも、いい。

祇園白川は昼は昼で、甘味のぎおん小森が大行列をなしていたり面白いところはたくさんあるのだが、でもやっぱり夜に歩いてほしい。できれば、少しでも好意のある人と。そうして、その時間に酔ってみるのもたまにはいいでしょう。

人にそひて 浮かれ歩める 祇園白川 晶子になれぬ ただの私が

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