送り火と京都人|【嵐山】地元民の穴場と、恋人と見上げる鳥居形

京都人も好きな京都行事

京都人が京都の有名な寺社仏閣を知らないというのは有名な話。
でも、送り火というのはちょっと特別というか、これは京都人の行事だなといつも思う。もちろん言わずもがな祇園祭も。その季節が近づくと「どこで見る?」という話題が上るのは、送り火と祇園祭の山鉾巡行くらいの気がする。

京都ツウのヨソ者

「京都の人は大文字焼きなんて言わない」といって「ほんまもんの京都人」を語る「京都あるある」みたいなのがある。けど、生粋の京都人の同僚(50代女性)がこないだ、「あたしらも大文字って言うけどなぁ〜」と訝しんでいた。

思うに、人類が京都のことを好きすぎるあまり、「京都では本当はこう」「実はこうだった」といったさまざまな言説が流布している気がする。「よその人はこう思ってるけど、本物の京都人は違うんですよ」的なマウント。そしてこれをしているのは、私のようなヨソ者だったりする。京都ツウを齧った”ヨソ者”が、ヨソ者に対して取るマウント。それくらい「京都の本物」を知りたい層が大勢いて、知っていることがかっこよくて、京都は魅惑的な街なんだろうなと思う。そしてそれを生粋の京都人は「ようしってはるわあ」と適当にあしらいながらぼんやり眺めている。気がする。

それぞれの場所で

送り火は、亡くなった方々の魂を弔う宗教行事だ。日常の中にある行事なので、わざわざどこかへいくと言うより、近所のベストスポットへ行く住民が多い。

宮川町に住む先輩はどんぐり橋から「Kの字」を眺めると言う。「大」の二画目左払いが見えないので、アルファベットの「K」みたいに見えるのだ。
二条に住む友人は、御所の蛤御門。道がスカッと抜けて、大の字がよく見える。周りに灯りも少ないので光が煌々として美しい。
冒頭の出町に住む京都人女性は、家の屋上から見ると言っていた。こうしてみるとやっぱり皆、大の字を見ているんだな。

文化資本の活用と一抹の寂しさ

十三参りで有名な嵐山の法輪寺が、鳥居と左大文字の穴場で美しかったのだが、去年から「そうだ、京都、行こう」の高価格帯ツアーが組まれ、立ち入りができなくなってしまった。
もちろん、文化を守っていくためにお金は必要だし、その価値を理解して対価を払ってくれる人に最大限のものを提供する、というのは当然だ。そして私もそういうことをビジネススクールで研究してきたし、こういうツアーを作る側の人間でもある。

なんとも難しいのだけど、従来ずっとここで見ていた住民が見られなくなっていたら、とても悲しいことだなとも思ってしまう。

一昨年は大の字とその他を少しずつ

一昨年は家の屋上から見た。以前住んでいた私の家は二条城の北向かいにあり、屋上テラスからは360度市中が一望できた。もちろん我が愛する東山も。なんせ、この眺めに惚れてその家に住んだのだから、送り火の日のために住んでるようなものだった。

18時頃に仕事を切り上げて、ビールとハイボールとレモンサワーのロング缶を抱えてテラスへ上がる。

東山の色が変わっていくのを眺めながら嵐山の夕陽に目を映す。それが終わると暗くなって、いよいよソワソワし始める。大が点火すると、もう大盛り上がり。

そして順々に火が灯っていく。左大文字隣には船の切れ端も見えた。

お酒を飲みながら同居人たちとガヤガヤと見るのは、これもこれで楽しかった。

去年ははるばる嵐山へ

去年はどこで見たかというと、嵐山に行った。なぜなら、恋人が「鳥居を見てみたい」と言ったからである。

毎週金曜日は河原町丸太町にあるオフィスにフリーランスメンバーで集まって仕事をする日なので、仕事をしながら「なんですぐそこから見えるのに嵐山まで行かなあかんの…」「てか家の屋上でええやん…」「もう暑いし…」などとぶつぶつと言って、仲間たちの失笑を買ったものだ。

一旦オフィスから家に戻ってPCを置いて、バスで仕事をしながら移動して待ち合わせをした。大阪の会社から駆けつけるが案の定遅刻し、私は小さく腹を立てる。ほら、家でみといたらよかったやん…。

からあげクンとハイボール濃いめ

JR嵯峨嵐山の駅にあるセブンにはピンとくるお酒がなかったので、ローソンまで行き、角ハイボール(濃いめ)のロング缶を飲みながら待っていた。折しも、「ハイボール1本買うとからあげクンが50円引き」という私のためのセールなんかをやっている。待ってる間に相方の分も買おうと、ハイボール→からあげクン→ハイボールというお買い物ループを繰り返す。

入り口付近で飲みながら相方を待っていると、酔いどれのおっちゃん集団が通って「姉ちゃん、イカついもの飲んでんな!」と声をかけられた。イカついのはどっちや…と思いながら、悪い気はしない。私はとかくこのまちで声をかけられやすい、昔から。多分、この街にいる私はご機嫌で、穏やかな顔をしていて、誰かに危害を加えるなんてとんでもないような女神に見えるのだと思う。

突然低くなった視界

彼がようやく来て、渡月橋へと歩き出す。からあげクンを食べながらロング缶をぐびぐび飲む。川沿いを歩いていると次第にそこへ向かう人の列ができて、みんなお行儀良く渡月橋に向かって歩いていった。渡月橋までもう少しというところで、急に膝がガクンと折れた。視界が突然低くなった。

後ろのおっちゃんに「姉ちゃん大丈夫か!」と声をかけられてハッとした。足がちょっと空いていた溝に落ちて、転んだようだ。なんとか立ち上がるが、膝が痛い。彼に言われ、すごすごと人通りを避けた路地で立ち止まる。

「りさちゃんが急に隣から消えたから焦ったよ…」と言いながら傷口を見ている彼。その顔をぼーっと眺める。

誰かが心配してくれる傷口

いつも転んだ傷跡を一人で眺めていたから、誰かが横にいて心配してくれるのはいいな、なんて呑気に思っていた。

さっきのコンビニに戻って消毒を買おうと言われるも、私は嫌だと駄々を捏ねてそのまま進むと言い張った。なんせ、時間がない。
それに一人じゃないから、哀しくなかった。私はとかくこの街でよく転ぶ。昔から。

京都の街を東奔西走、七転八倒

一昨年の夏は転んで両足首を捻挫して、松葉杖をつくのも難儀だった。整骨院の先生も「どうしたらこうなるんや…」と首を傾げ、レントゲンを撮ったら撮ったで「どっちも腫れてるから正しい状態がわからへんなあ」と笑っていた。私は本当に年中よく転がって、京都の街を東奔西走、七転八倒している。

でもそういえば、あの時も立てなくなった私を病院まで運んでくれたのが、当時ただの友達だった、この彼だった。

オーバーツーリズムにしては空いてるやん

渡月橋は、海外の人でいっぱいだった。
とはいえ溢れるほどではなく、京都中心街の大混雑に慣れている人間からすると、見る場所はなんとかあるし、余裕もあるとさえ思える。同じ嵐山でも日中の竹林の方がよっぽどひどい。ごめん、春の写真しかなかったわ。

まず左大文字が灯り、その下を灯篭が流れていく。風の流れが悪いのか、灯篭は全て川べりを流れて行ってしまって、いい感じに川に広がらない。カメラマン泣かせの風だった。
川と街の向こうに見える左大文字は、いつもみている大文字ともまたちょっと違って、美しかった。

初めての鳥居

そして左大文字のざわめきが落ち着くころ、鳥居も灯る。建物越しではあるけど、とても綺麗に見えた。一つずつ、灯っていくのが見える。
初めて見る鳥居は、大の字とはちょっと違って、とても美しかった。

うん、見に来て良かった。少しでも(少しではない)行きたくないと思ってごめん。痛む傷口を見下ろしながら、心の中で彼に謝った。

送り火くらいは、毎年新しいことを

歳を重ねるにつれ、譲れないことや自分のモットーみたいのが確立されていく。それはそれで、一人で生きていく上で大切なことだし、自分を守るために必要なことだったり、うまくエコに効率的に生きていくための術なんだけど、ひとりよがりになったり挑戦をしなくなったりする。自分でも無意識のうちに。

いつまでも新しいものにときめく自分でありたいなと思った。そう気づかせてくれた、2024年の鳥居だった。

さあ、2025年はどんな送り火に出会えるだろう。

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