私だけの物語の始発駅|【京都駅】原広司の「谷」と大階段の孤独

旅の出発地点とゴール

京都のよそ者である私にとって、京都駅はいつだって旅の出発地点でありゴールでもある。

1877年に作られた駅舎から時代を経て、今の京都駅は平安建都1200年記念事業として1997年に建設された4代目。設計者は梅田スカイビルなども手がけた巨匠・原広司だ。去年の年末に訃報に接してショックを受けたのは当然私だけじゃない。年明けの様々な会合(と言う名の飲み会)で話題に登った。

0番線から始まる、それぞれの旅路

賛否両論あるけど、私は意外とこの京都駅を愛おしく思っている。4000枚のガラスと屋根に覆われた広々とした開放的な吹き抜け。そそり立つ大階段。最上階の空中径路。よくある巨大駅と違って、企業用賃貸スペースが少ないのもいい。

でも一つだけ許せないと思ってしまうのが、悪天候の時。雨雪に野晒しみたいな、もう吹き曝し、屋外にいるんじゃないかと思うような七条口。エスカレーターに乗っていても傘をさしたくなる。

2024年3月に金沢行きがなくなった0番線から34番乗り場まで。東京駅でも34番線なんてないですよあなた。
北海道から九州まで、ここから日本中に列車が出ていく。

夜行バスで着く八条口

大学生の時は夜行バスで朝早くというかもはや未明に八条口に着いて、トイレで着替えて化粧をして、1人歩き出した。そして帰りもたくさんメソメソした後にここから帰っていった。

「東山の朝日」に書いた、大学1年生の初めての一人旅。帰りの夜行バスを待ちながら、大階段に1人端っこにちょこんと座ってツリーを見ていた。周囲は幸せそうなカップルと楽しそうな友達グループたち。

一人でいじける大階段

その頃の私は、もう世界中の不幸を自分が背負っているんじゃないかと思っているくらい、とてもとても寂しかった。

だって、誰も私のことを好きになってくれない。「大丈夫、家族に愛されてるじゃん」とか、そういうんじゃなくて。
血の繋がってない他人に、愛されない。誰か他人に、男の人に、心から愛されたかった。私のことを本気で愛してくれる人なんているのだろうか。どうして私にはそんな人が現れないんだろう。いつかそんな人に出会えるとも思えない。私のことなんか誰も好きになってはくれない。

この頃の日記を読むと、もう不幸が文字から滲みでて、文章からも行間からも不幸が溢れていて、ちょっと面白い。
あの日の私は、寒くなってもじっと座って、静かに泣いていた。ここにいると自分の孤独と向き合わざるをえないから苦しいし、寂しいし、かといって愛しいものもない、愛してくれる人もいない東京に帰るのも嫌だった。

最愛の人に見送られる八条口

でも、京都のお坊さんと和歌を交わしあってめでたく恋に落ちて。
遠距離恋愛を始めてからは(詳しくは「黒谷金戒光明寺」へ)、京都駅は全然違う場所になった。
彼に会える嬉しい場所で、ウキウキと降り立つ場所。そして、最後は彼に見送られて私がメソメソ泣く悲しい場所に。

私は当時WILLERexpressとかさくらexpressとか、激安のバスに乗っていたので別れはいつも八条口だった。確か最安値は新宿ー京都間で2950円で、その頃は大学の講義中とか片道2時間の通学電車でいつも格安サイトとずっとにらめっこしていた気がする。

時間潰しの七条口

お別れの前後にはいつも七条口あたりでご飯を食べたりもして、ヨドバシの向かいにあるイタリアン風のお好み焼き屋さんとか、JRの伊勢丹の上の方にある見晴らしのいいサルバトーレクオモにもよく行った。

空中庭園にある2階のミスドを行ったり(京都はなんとなくちょうどいい場所にミスドがない)、市バスプール横の進進堂で翌朝の朝ごはんにパンを買ったりもしたし、時間潰しに伊勢丹横の観光案内所の脇にある展望台に行ったりもした。
そしてクリスマスの時期には、1人で座っていた階段に2人で座ってツリーを見たりもして、感慨深くなったりもした。
1人で泣いていた京都駅は、彼を前にして泣く京都駅になった。

今度は私が彼を見送る場所に

その後に彼が東京転勤になって、私が入れ違いのように同志社大学に国内留学したら、今度は私が見送る場所になった。彼は私と違ってちょっと高級なJRバスを使っていたので、七条口側でのお別れだった。明るく光を放つ京都タワーがガラスのファサードに映り込んで、憎らしいほど美しかった。

1年間、自分で選んだ道とはいえ、彼に会いたくてたまらない時があった。でもここで勉強したくて、家族や彼の反対を押し切ってお金も時間もかけて京都に来てるんだから、留学中は帰省はしないと決めていた。


百二十里の距離

彼に会いたいな、会いに来て欲しいなという気持ちを抱えながら受講した授業で出会った歌が、晶子の歌だ。

さびしさに 百二十里を そぞろ来ぬと 云ふ人あらば あらば如何なむ

東海道の起点・日本橋から終点・三条大橋まで、120里。「云ふ人あらばあらば如何なむ」。
反復がもたらすこの切実さよ。俵万智はこんなふうに訳した。「そんなあなたがいたなら、いたなら」。

鉄幹に強く恋焦がれた晶子。
”ここへひとっ飛びに来てくれるような、そんなあなたがいたなら。いたならば…”
あなたに会いたい、というただ一つの願い。叶わないことはわかってるけど、でもそう願わずにはいられない。
晶子の言葉が、私には強く刺さった。
鉄幹に向けた晶子の恋心に重ねるように、この歌を口ずさみながら私は1か月に一度の逢瀬を待った。

むかしは君に教わった街

1年の国内留学を終えて東京に戻って数ヶ月後、彼と突然の別れが訪れた。その時のショックときたらそれはもう凄まじくて、私はとんでもなく荒れた生活を続けていた。詳しくはまた別稿に。それから私は大学を出て会社で働いて、様々な男性とも出会ったし、人並みの色々な経験もした。

10年ほど経って、悲しみがようやく薄らいで、同志社の大学院に通い出し、苦しいながらも仲間と幸せな時間を過ごしていた時。
ふと田中櫂のこの歌に出会った。正確に言えばずっと知っていたはずだけど、ちゃんと心に入ってきた。

くもり日の 改札を過ぐ そういえば むかしは君に 教わりし街

教わりし、の「し」は、過去を表す「き」の連体形。むかしは君に教わった街、だ。
ここでいう改札は現在の4代目京都駅、七条口改札だ。独りから二人になり、また一人になった。

でも、私はもう大丈夫になった。彼に教えてもらった街を、私は今ひとりで生きている。
彼に連れられて歩いた商店街、時計を買ってもらったアンティークショップ、出迎えてお別れする改札。ひとつひとつが、今の私をつくっている。

やっぱりここが原点

うら若き日の私が独りメソメソした階段では、毎年2月に「JR京都駅ビル大階段駆け上がり大会」なるものも開催されるようになった。これもチーム対抗でなかなか面白い、新たな冬の風物詩だ。

京都に根を下ろした今は、京都駅に行くことも減った。でもここはやっぱり、私の物語の始まりの場所だ。

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