無関心な京都人でさえ愛する鴨川
「京都に鴨川があってよかった。」
そんなことを言った友人がいた。彼女は生粋の京都人。
金閣も銀閣も行ったことがない、名所旧跡に目もくれない京都人も、なぜか鴨川だけは別格の気がする。
いや、そもそも鴨川は名所旧跡ではなく京都人の暮らしになじんだ日常風景なのだ。

山は東山、川は鴨川
私のようなヨソモノも、鴨川が上から下へ流れる京都のまちを、好きで好きでたまらない。
前に住んでいた二条城向かいの家も、京都のまちが360度見えて好きだった。でも、鴨川までがあまりに遠くて、寂しくて悲しかったのも引っ越した理由の一つとして大きい。京都のどこが好きと聞かれたら即座に東山が好きと言う私でさえ、鴨川は正直、甲乙つけ難い。
山は、東山。川は、鴨川。寺は…悩ましい。結局、鴨川越しにみる東山が最強ということになる。二条城の北に住んでいた頃は、気候の良い晩春から夏にかけての一瞬の季節に、パソコンを持って丸太町橋まで自転車を飛ばしたりもした。

賀茂川?加茂川?鴨川?
京都のまちを北から南へ流れる鴨川。
北区雲ヶ畑・桟敷岳を源流とし、南下していって、有名な出町デルタで高野川と合流。さらに南へ南へと下り、伏見で桂川と合流し淀川へ。23㎞にも及ぶ大きな大きな川だ。
ここ30年くらいは高野川で合流するまでを賀茂川と呼び、合流以降を鴨川と呼ぶことが多い。それは、上賀茂神社の近くの川を賀茂川、下鴨の近くを流れる川を鴨川と呼ぶことに由来している。
まあ、口に出してしまえばすべて「かもがわ」だ。名前の違いなんていい。
ただ、この川をひたすらに愛している。
ここでは、観光客にもなじみが深い三条~四条エリアではなく、もう少し北の話をしたい。私が愛してやまないのは、丸太町通りの橋、丸太町橋から見る鴨川である。

鴨川ラン談義
6月の夕暮れ前、ランニングに繰り出す。
二条城を見下ろす不遜な自宅を出発し、休み休みえっちらおっちらひたすら東に走って、目指すは丸太町橋。ずっと「丸太橋」だと思ってたら、このコラムを書くときに気づいた。丸太町橋じゃないか。
京都の橋は大体、通りの名前がつく。三条通にかかってるから三条大橋。四条通にかかってるから四条大橋。
確かにその理屈でいくと丸太橋じゃおかしいよな。丸太の橋じゃおぼつかない。

這々の体でやっと、丸太橋改め丸太町橋だ。
断言します。最も美しい鴨川は、ここ。
橋の真ん中あたりにある、凸のようなスペース。ここまできたら、ご褒美タイムである。
一息ついたり写真を撮ったりしている人がいるのだけど、もうこの場所は一生いられる。許されるならこの北側の凸の部分にちゃぶ台でも置いて住みたい。
この橋から見る鴨川は、どうしてこんなに美しいんだろう。
眼前に広がるのは、光を浴びてキラキラ光る鴨川の水面。その奥には、ゆるやかな北山の影が重なる。なだらかな北山は地平線のよう。
右を向けば、愛する東山。もう、言うことはない。
左を向けば丸太町通りがはるか嵐山の方まで続いている。もうすぐ西陽が眩しくなる。

市バスにのって丸太町橋を渡る時、橋の上で信号が赤になってほしいといつも思う。信号に引っかかることが嬉しいなんて、せっかちな私にとってそんな場所は、京都にしかない。座席から嬉しそうに写真をパシャパシャ撮る私は、きっと観光客にしか見えないだろう。
京都の原風景、鴨川
整備の際に川近くのビルはほとんど見えないように設計されていて、川のコンクリートも外に見せない工夫がされている。
昔からの鴨川の風景のように思える、まるで原風景のような気持ちにさせてくれる、貴重なスポットだ。
唯一東側にひょこっと顔を出している白い建物は、冒頭に述べた友人が住むマンションである。彼女もまた、鴨川のすぐそばで生きることを大切にしている。
この辺は美味しいものも色々あるから、昼ならピクニックも楽しい。特におすすめは120gバインミー京都の手作りバインミー。


続・鴨川ラン談義
そしてランニングへ話が戻る。

後ろ髪をひかれながら丸太町橋から西側に戻り、ドライフラワーに包まれた「カフェいのん」を横目に河原へ降りて、鴨川の西側を北上していく。
このスロープは、緊急時に台車が川へ降りられるようにするためのものだが、通常時は自転車のためである。鴨川の近くをいざ自転車で走っていると意外とスロープ箇所が見つけられなくて川べりに降りられなかったり逆に登れなかったりする。特に五条界隈は本当にそうで、丸太町橋より北はまだマシだ。

四季を映す水面、ここは京都のリビングルーム
桜は紅枝垂れもソメイヨシノも。柳や香木が交互に植わって、桜の前には雪柳が白い花束みたいに咲いて、菜の花も綺麗だし、サツキ、八重ヤマブキ、れんぎょう、しもつけも。
鳥もたくさん飛んでくるし、2015年に初めてオオサンショウウオが発見されたときは大騒ぎだった。今はもう京都新聞のニュースになってもだれも驚かない。近年は外来種との交配種がほとんどだという。

進んでいくと、背中がくるんとまるまったベンチ、ひと席ごとに区切られたベンチ…色んなベンチが乱立している。
家族がくつろげることをコンセプトに作られた真四角ベンチでは、市民が思い思いに寛いでいる。
日光浴する鴨川ランナー、ギターを弾くお兄ちゃん、弦楽カルテット集団、ピクニックする女の子たち…。

京都にずっと守られて
8年程前ひとり京都を訪れていた頃。

ここらでリュックを枕にゴロンとしていたら、おじさんに「お嬢ちゃん、そんなとこで寝てたら危ないで!」と言われたことがあった。
京都で破天荒に七転八倒しながら生きている私だが、これ幸い、危ない目にあったためしがない。どんなに酔っ払って転がりながら帰ったり道でひっくり返ったりしてもだ。
もちろん危ない目にあってからでは遅いのだけれど、なんとなく、京都にいる私は大丈夫な気がしている。
京都という街に、私は守られている。そんな根拠のない絶対的な自信がある。皆さんもそういう場所って、ありません?

完結、鴨川ラン談義
例の出町デルタくらいまで行って大学生たちの飲み会の盛り上がりを確認したら、東側に渡り、南に下がってくる。折り返しだ。この初夏の頃合いはまだ新歓をゆるゆると引きずっていたりもする。
このくらいの時分になると小さい虫が顔にあたってゲンナリするので、もう一度丸太町橋で夕日を眺めて心いっぱい幸せで満たし、すぐそこに迫る夏の足音に耳を澄ませる。

晶子の加茂川と恋人
うす暗くなってきた。そしてあとは西日に向かってひたすら自宅を目指すのだが、ここで思い出すのは、晶子の歌。
御袖(みそで)くくり かへります かの 薄闇の 欄干(おばしま)夏の 加茂川の神
加茂川の神とは、愛しい恋人のこと。「帰りますか?」ではないので注意。帰ります、かの(あの)ウンタラカンタラの神、という構造です。
あなたは袖をまくった姿で、薄闇の加茂川の橋を渡って行ってしまう。夕暮れ、夏の加茂川の欄干。「らんかん」じゃなくて、「おばしま」ね。
今宵一緒に過ごしたい気持ちを抑えて帰っていくあなた。そしてその姿を見送る私…といった感じですかね。

晶子は歌においていつも、愛する鉄幹のことを、神とかすごく尊いものに例える。恋人に対する敬意や、心からの信頼とか、深い深い愛情とか、そんなのをひしひしと感じさせてくれて、美しくてため息が出る。
恋は量ではなくて質だから
そして鉄幹が亡くなってからは、永遠に消えない恋心があふれていて。生涯一人の男性を愛したんだと思う。女にとっての恋は、どれだけたくさんの人を愛したかじゃない。人をどれだけ深く愛したか。
たった一度の人生。その人だけでいい。生きていて、そんな風に思える人と生涯一度でも出会えたら、幸せだと思う。
鴨川の流れを見つめながらそんなことを考える。
はつなつの 丸太町橋 見渡せり 川は鴨川、山は東山





