小学校跡地をホテルにするパイオニア

ここ数年、京都では小学校をリノベーションしてホテルを建てるのが一つのトレンドになっている。特に〈ホテルザ青龍〉などがラグジュアリーホテルとして人気を集めているけど、
その先駆けとも言える〈THE GATE HOTEL 京都高瀬川 by HULIC〉 について、私の溢れんばかりの愛を語らせてほしい。
絶対に知ってほしい推し
阪急河原町駅から高瀬川沿いに木屋町通を少し北に上がったところ。緑の芝生広場を見たことがある人もいるだろう。
これこそ、我がNO.1推しホテルだ。
オープンは2020年7月、コロナ真っ只中。
私とゲートホテルの出会いは、その9月12日、同志社の大学院を受験すべく9月頭に来た猛暑の中だった。
ここの真髄は、なんと言っても最上階の8階からのぞむ東山。
エレベーターで8階ロビーまで上がると、いつも思わずため息が出る。

埼玉の家族や東京の友人、京都人…。誰を連れてきても「すご〜!」と感動の声をあげてくれる。
そんな反応を見るたび、誇らしい気持ちになる。
ほら、私の推しって最高でしょ?

コロナ禍、ひとりぼっちの慰労会
京都への恋心を抱えたまま東京の出版社でボロ雑巾のように働いていた私は、思い立って同志社の経営大学院(いわゆるビジネススクール)を受験した。
書類試験を経て、面接当日は緊張しすぎて過呼吸に。面接官の教授から「大丈夫だから落ち着いて」と言われる始末だった。
「ああ、ダメだったかなあ」
終了後はあまりに落ち込んで食欲がなく、ひとまず汗だくの体を冷やそうと、キャンパス近くにある虎屋茶寮一条店でかき氷を食べた。

そして不安な足取りのまま宿泊先のゲートホテルでチェックイン。旅行支援という今は懐かしい不思議な制度の元、当時はシングル1泊朝食付きで1万円を切っていた。
8階でエレベーターを降りて東山を目にした時は、それまでのモヤモヤが一瞬吹き飛んだ。それくらいの衝撃だった。
テラス席、隔てるものは何もない
ロビー横にあるレストラン〈Anchor Kyoto〉は、いつだって私に最高の東山を提供してくれる。
それも、考えうる最上のベストコンディションで。
ここのテラス席は本当に素晴らしくて、最も窓側に近い席は、もう鴨川と東山しか視界に入らない極上の眺めだ。柵は丁寧に磨かれた低めのガラス張りで眺めを妨げないので、東山と私を隔てるものはない。
でも屋根もあって、清潔だし居心地がいい。

一列後ろにあるソファー席はゆったり心身を穏やかにしながらくつろげる。数人でワイワイ飲むにもちょうどいい。つまり、どこに座っても最高なのである。
ラウンジで仕事を片付けた後、テラス席でひとり慰労会を開催した。
オーダーは、ワインと、シャルキュトリー盛り合わせ。
白ワイン越しに見える南座は煌々と輝いていて、屋根は艶やかで落ち着いた気品ある藍色に見える。南座は青いことをこの日初めて知った。

東山の山の端から顔を出した白い月はゆっくりと動いていって、じっと眺めながらぼんやりと考える。
ああ、私はひとりぼっちだな。いつも。今も。きっと、これからも。
1200年の歴史、届かない夢
あんなボロボロの面接で合格するのか。
合格したとして仕事と両立しながらやっていけるのか。
そしてもし無事に卒業できたとして、私が望むような未来が切り拓けるのか。

大好きな和泉式部たちが見つめた東山も月も、苦しいほど愛おしくて。
でも、この1200年の歴史を前にして私はいつもひとりぼっちで。夢はやっぱりはるか遠くて。
愛する人に愛される未来もなくて。
ゆく年くる年のように様々なことに思いを馳せて、例の如くメソメソしていた。
優しい女性スタッフさんと隣の男性
ヤケクソのように、白も赤もたくさん飲んだ。
会社用携帯を片手に仕事をしながら。当時の私は、起きている時間全てを仕事に捧げていたのだった。
コロナ禍でゲストもまばらの中、女性一人での宿泊は珍しかったようで、ホールの女性スタッフさんが話しかけてくれた。
聞けば、ここを運営するヒューリックの社員さんだった。この場所をコンペで勝ち取った時の苦労、開業までの軌跡を教えてくれ、これから地域に愛される場所にしていかないといけない、と静かに語ってくれた。

女性との話がひと段落すると、隣のテーブルにいた男性が「このご縁に」と言ってお酒をご馳走してくれた。
部屋に誘われたけど、なんせ人生のどん底にいる私はそれどころではない。丁重にお断りして、部屋で引き続きメソメソした。
これが私と最初のゲートホテルの思い出。あの女性社員さんの姿はもう見ないので、きっとまた違う新天地で活躍してる気がする。
2年後、ワイングラスは2つに
大学院に入ってから、ここのテラスに同級生と時折来るようになった。
学校に通いながら私は、土日の昼間、授業終わりに駆け込んでシャンパンをひっかけたり、課題提出の慰労会と称して夜ご飯を食べたりした。
ある夜、いつも私の将来の夢と悩みを聞いてくれる同級生と訪れたときのこと。ふと冒頭の一人慰労会を思い出して、鳥肌がたった。その日はちょうど2年前と同じ日だった。

2年前、この席でこの景色を見た時、私はひとりぼっちで寂しかった。
あのときだけじゃない。30年間いつも、ずっと寂しい思いを抱えていた。
誰にもわかってもらえなくて、誰に相談していいかもわからなくて、時間だけが過ぎていって、京都にいても、京都が遠かった。
でも今、この東山と動いていく月を見ながら、「和泉式部の月の歌がね…」という私のしょうもない話を真剣に聞いてくれる友人がいる。
私が描く未来を「きっとできる」と心から応援してくれる仲間がいる。
鼻の奥がツンとした。夢のようだった。
私自身もこの景色も、2年前と何も変わらない。
でも、ワイングラスは2つになって、私の目に映る世界は、もう何もかもが違っていた。
この夜は東山はいつも以上に優しく見えたし、南座は、全然違う輝きを見せた。月は、いつもより早く、私の頭上を西へ西へと動いていった気がした。

人生の景色は変わる。たとえ2年であっても、確かに変わる。
そしてこの場所は、私の人生のどん底も絶頂期も、見守ってくれている。
南座の 青さを知った 秋の夜 2つになった ワイングラスよ





