1200年目の春、東山の朝日にひとり|【東山】木屋町のホテルで「春はあけぼの」

誰も勝てない、完全無敵の存在

東山が好きだ。

もう好きとかじゃない、遺伝子レベルで信仰している。

東山に昇る朝日を見ると、胸のみぞおちの奥あたりがキュウっとして、鼻の上の奥がつんとする。以前の二条城向かいの住まいは、東山を含む京都市中が360度見渡せるテラスがあることから契約した。東山を愛するアラサー選手権(下京区の部)があれば、血みどろの戦いの末に1位を取れる自信がある。

恋人 vs 東山問題

「俺と東山、どっちが大事なの?」

ある夜、恋人が冗談混じりに言ったことがある。一緒に住むという話が出て、ディスカッション(と二人では呼んだ)していた時だ。
私はどうしても、東山が見える家に住むという条件だけは譲れなかった(その時の我が家は屋上テラスから東山が見えた)。

彼は笑っていたけど半分本音だったかもしれない。なおこの問題は今も決着がつかず、今も定期的に問いただされている。

京都人の精神安定剤

京都の街は北・東・西の三方を山に囲まれ、京都タワーを背にして右手が東山、左に嵐山、そして正面に北山が広がる。この山に囲まれた安心感が京都の良さだと京都人はいう。

生粋の京都人であるビゴーレの片岡さんが東京から帰ってきた後にぼやいていた。
「東京は高いものばっかりで不安になりますね」

でもそれだけじゃない。というかその中でも東山の存在は本当に大きい。
なだらかで美しい山並みがもたらす安心感たるや。これは暮らすほどにじわじわと沁みてくる。もう、東山は京都市民の心の安寧に寄与していると断言していい。

そう、東山は京都人の心の防波堤であり、シェルターだ。見えなくなると、途端に心細くなる。もちろん鴨川も忘れちゃいけないけど。

京都で右を向いたら大体東山

京都外の人に東山が好きだというと、「東山ってどれ?」と返ってくることがある。
東山という固有名詞があるのかと。どの凸が東山なのか、比叡山から清水寺の向こう、南の果ての山の方まで全部東山なのかと。

まあ、京都の街から東を向いて見える山は東山と思っていい。正確には東山三十六峰と言って、東山連峰とも言ったりする。五山の送り火で馴染み深い大文字も東山の一部だ。そして山麓には、銀閣寺、青蓮院門跡、知恩院、高台寺、清水寺、泉涌寺、東福寺、伏見稲荷…京都を代表する世界遺産や国宝、各宗派の総本山が連なる、まさに聖域でもある。

京都人のDNAに刻まれた景色

このなだらかな山並みがもうなんとも。
「ふとん着て寝たる姿や東山」と詠んだのは江戸時代の俳人・服部嵐雪。東山三十六峰が比叡山から稲荷山までなだらかに横たわっている様子を表現したもので、なるほど東山のどっしりとした包容力はここからくるのか。

先述の京都の友人は、岩倉(京都市の北の方)に住んでおり、私の滞在する五条界隈のホテルに来たとき、比叡山を見て「えらいぺちゃんこですね。お尻みたいやな」と憮然としていた。
その後、岩倉にある彼女の店に行くと、鋭くそびえる凛とした比叡山がそびえていて納得した。
なるほど、京都人にはそれぞれ、見慣れた山の形というものがあるんだな。

朝日を木屋町のホテルで拝めたら

東山が好きというのは、東山の中に身を置くことと、遠くから東山を眺めることがある。
この2つは実は似て非なるもので、私はどちらかというと、多分後者を異常なまでに愛している。特に、東山に昇る朝日を。

その真髄にお目にかかろうと思ったら、木屋町通沿い、御池通~五条通のホテルを取ろう。市役所前のオークラは高さがあるから河原町通でも問題ないし、四条付近もオススメ。東山が見えるいい場所なんていくらでもあるけれど、朝日を望もうと思ったら、そんな早朝どころか未明に営業しているカフェやレストランなんてそうそうない(と、思う)。

私としては木屋町通り沿いのホテルが、距離感も周囲の建物の高さもちょうどいい。ポイントは、ザ青龍とかノーガホテルとか東山ふもとのホテルに泊まってしまうと、私の好きな東山の形は見えないってことなんですよね。

1200年目の朝を東山と迎える

初春の東山の夜明けはもう、それはそれはとんでもない。もちろん365日それぞれに美しさがあるけど、ここは「春はあけぼの」という清少納言の言葉に立ち返ろう。

春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山ぎわ、少し明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。

3月の初めごろ。
まだまだ風は冷たく、ふいに雪が降るような日もある。

6時前、街はまだ眠っている。夜中の終わり。夜明けの直前。

話がそれるけど、日本語がすごいなと思うのは、夜から朝にかけての美しい言葉が数多存在すること。
夕暮れの「ゆふべ」に始まり、「よひ」は夜、「よなか」は夜中、「あかつき」は夜明け前、今でいう未明、「あけぼの」は夜明け、「あさぼらけ」はほのぼの明るくなるころ、「あした」は朝、「つとめて」は早朝。
男性が女性のもとへ夜に会いに来る通い婚が主流だった平安時代、時間帯を表現する言葉は驚くほど繊細だった。これはまたいつか皆と語り合いたい。

東山、霞、朝の光

東山に霞がかかっている。

ちなみに歌において「霞」は春の季語、「霧」は秋の季語。おはぎとぼたもちが春と秋で呼び方が変わるのと似ていて、日本人って本当に季節と共に生きることを大切にしてきたんだなと思う。

ふと東山から足元へ目を落とすと、木屋町のビルから朝帰りの人たちが片づけをしていたり、長居したである客がのろのろと帰路に就こうとしていたりする。

東山の山際が白々と明るくなって、藤色、くすんだピンクのような薄紫になる。そして山際に、ぽっと橙色の光が差し始める瞬間。
そこからグラデーションのように広がる空。黄色から水彩のような浅緑、浅葱のグラデーション、青、こちらの空はまだ深い群青色のような瑠璃色のような夜、振り返れば嵐山の方はまだ夜で、黒々として。わずかな時間で移ろう空の色。刻一刻と変わる山際あたりの色を見て、一人思う。

私が生きるこの世界は、とてつもなく美しい。
ああ。私、今、生きてる。

この街に今日も朝が来る、1200年目の朝が。誰にも気づかれない静かな時間に、1200年分の朝がまたひとつ積み重なっていく。
1200年分の歴史の先端に、わたし、ひとりぽつんと生きている。この孤独が、なぜかとても愛しい。

また、春が来た。

太陽の片鱗がぽっと顔を出したら、もうあっという間。ちょっと目を離したらぐんぐん顔を出して、もう街中に光がさして、古典で言う朝(あした)だ。空気は冷たくても、確実に春の光が煌めいてる。
春は着実に近づいている。

今日もまた一歩春に近づいた。
春が来る。1200年目の春が。1200年前と変わらない春が。

うれしくてたまらない。
喜びに浸っていると、街はどんどん動き出し、川端通りの車も増えていく。それを確認して、朝食までまたしばしの眠りにつく。

春眠、暁を覚えず。このまちで、今日も私は生きていく。

あけぼのに 日出でたちたる 東山 1200年目の 春に吾ひとり

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